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5☆s 講師ブログ

新聞は消滅してしまうのか(2)

その本とは2015年に上梓された『朝日新聞―日本型組織の崩壊―』です。 著者は「朝日新聞記者有志」。 明らかに内部告発の書です。 これによると、朝日新聞に入社した新人の記者人生というのは、5年に渡る支局勤務の後、本社のどの部署に配属されるかでほぼ決まってしまうそうです。 花形部署は政治部、経済部、社会部の所謂「政経社」。 エリートにとっては「政経社」以外の部署は、出世街道から外れた“掃き溜め”なのだそうです。 いくら何でも“掃き溜め”は言い過ぎだろうと思っていたら、「政経社」以外の部署は給与体系が低く設定されているそうです。 “掃き溜め”は本当でした。 しかし、支局…

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情報伝達

数週間前に、とある電化製品量販店とメーカーがタイアップして、 「トイレの内装工事が5時間で完了、さらにお値段格安」という 謳い文句の通販番組を見て、我が家のトイレの内装工事を依頼しました。 下見積もりまでは、トントンと事がすすみ、割に早く内装工事の 日程も決まり、いよいよ工事の当日となりましたが…。 ●第一トラブル: 下見積もりの際の営業担当者の確認ミスで、壁に内蔵された トイレットペーパーケースを外すと、壁に穴が開いており、 その穴をふさがないと壁紙が貼れないとのこと。 壁紙業者はこのことを事前に聞いていなかったため、 壁の補修材を持参せず、3時間ほど待って別…

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新聞は消滅してしまうのか(1)

新聞は消滅してしまうのでしょうか? 今や情報は、インターネットで簡単に入手できる時代。 新聞というメディアは、果たして生き残ることができるのでしょうか。 ここ20年間の状況を見る限り、悲観的と言うしかありません。 まずは、全国の発行部数の推移から。 2000年に5,370万部だったのが、2020年には3,509万部まで落ち込みます。 20年間でなんと35%の減少。 1/3の世帯は新聞を取っていない計算になります。 朝夕刊のセットになるともっと悲惨で、減少幅は約60%。 スポーツ紙もほぼ同じ58%減。 今後も減少傾向が続くことが予想され、数量政策学者の…

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すべては「人事」から始まった(2)

本当に、東條英機ひとりが悪者だったのでしょうか。 赤松の証言によれば、東條が何度も口にした言葉があるといいます。 「海軍が『ノー』と一言いえばよかったのに、それを言わないから戦争になった」 保阪はこの言葉を赤松だけでなく、複数の陸軍の要人たちから何度も何度も聞かされたと言います。 なんとも虫のいい話ですが、それにしてもなぜ海軍は「ノー」と言わなかったのでしょう。 それは、そんなことが言える「空気」ではなかったからです。 強硬な開戦論者だった東條が、先頭に立って旗を振ることで醸成した開戦の「空気」。 その「空気」には海軍どころか、作った東條英機本人でさえも、もはや抗うことが…

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伝える力

今まで、セミナーや集合研修などで、多数「伝える力強化」を テーマに取り上げて実施してきました。 おしゃべりはできても、人前で自分の意見をしっかりと伝えるのは、 なかなか難しいものです。さらに、その難しさに輪をかけているのが、 今般の「オンライン化」であることは、誰もが納得するところですね。 また、最近では「伝える力」よりも「伝わらないこと」の弊害を 多くの人が強く感じているのではないでしょうか? 政府要人の「独りよがりな物言い」専門家・知識人と言われる人たちの 「難解な話」タレントなどの「言いたい放題」などなど…。 しかし、どの人も「何をどのように話したらよい…

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すべては「人事」から始まった(1)

戦争は二度と起こしてはならない。 それは誰しも思うことですが、日本のマスメディアが唱える「戦争反対」は的外れだと思うのです。 なぜなら、「戦争による悲惨な記憶を風化させるな」と、感情に訴えるだけで、「なぜ戦争が起きたのか」、「どうすれば戦争を防止できたのか」という論理的な検証が全くなされていないからです。 「過ちは繰り返しませぬから」と心に誓えば、自動的に戦争が防止できるわけではありません。 私たちがしなければならないのは、なぜ止められなかったのかその原因を究明し、権力に暴走させないための制度的なシステムを構築することです。 今回は、『昭和の怪物七つの謎』という著書で、東條英機に…

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話せばわかるは真っ赤なウソ(3)

犬養毅は、政治家の宿命として多くのマイナス面を持っていました。 1930年(昭和5年)4月、浜口雄幸内閣はロンドン海軍軍縮条約で、補助艦の保有総トン数の日米比率を10対6.975にすることで合意し調印します。 事前に議会の承認を得た上での調印でしたが、野党の政友会の犬養毅や鳩山一郎が、「軍令部の承認を経ずに国防計画に関する条約に調印するのは、天皇の持つ統帥権を犯しているではないか」と言いがかりをつけ、民政党政権を執拗に攻撃します。 このことが、結果として軍部に「統帥権干犯」という伝家の宝刀があることを知らせてしまったことは、犬養らの歴史的な罪と言っても過言ではありません。 政権…

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話せばわかるは真っ赤なウソ(2)

道子の脳裏に蘇った遠い記憶。 それは未亡人となった「お祖母ちゃま」のために建てられた、麻布の隠居所に荷物を運んでいた時のことでした。 道子の父、すなわち犬養毅の息子の健が、荷物の中に「張学良の手紙」の書簡箋があることに気づきます。 犬養健は、戦後吉田内閣で法務大臣に就任しますが、収賄容疑による自由党幹事長佐藤栄作の逮捕を阻止するべく、指揮権を発動したことが原因で失脚してしまった不運の政治家。 父が手にした書簡箋に、ある文字が書かれていたことを道子は思い出したのです。 それは実に鮮明な記憶でした。 「純白のリネン布にも似た極上の西洋紙が、中央にくっきりとみごとな楷書体を盛り上…

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話せばわかるは真っ赤なウソ(1)

歴史上語られていることには、しばしばウソが紛れています。 教科書にも掲載された犬養毅の名言、「話せばわかる」もそのひとつ。 犬養毅の孫である犬養道子の話によると、事実はかなり違っているようです。 11歳でこの事件に遭遇した道子は、この伝説について「母の証言うらづけはない」と自身の著書に記しています。 では、犬養毅は一体何と言ったのでしょう。 1932年(昭和7年)5月15日夕刻、首相官邸にピストルの音が響き渡ると同時に、護衛の巡査が崩れ落ちます。 世に言う「五・一五事件」の始まりです。 道子の母親は、かねてより懸念していた軍部の襲撃であることを察知し、庭に下りて逃げるよう…

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日本語教(4)

かつて、鈴木孝夫がアメリカの大学で日本語を教えていた時のことです。 鈴木は、学生たちが非常に攻撃的な態度をとることに驚かされます。 私たち日本人は、外国の話を聞くと「そんな考え方もあるのか」とか、「私たちも見習った方がいい」といった感想を持つことが多いもの。 ところが、アメリカ人学生にはそのような態度は一切見られず、とにかく徹底的な日本批判、相手攻撃に終始したというのです。 アメリカでは、ソ連が人工衛星の打ち上げに成功したとたんに、大学でロシア語学習が一大ブームとなり、なんと月謝免除の措置まで取られました。 その後日本が高度成長期を迎え、日本車や日本製の家電がアメリカ中を席捲する…

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