株式会社ファイブスターズ アカデミー
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人目を気にするのは、程度の差こそあれ皆同じ。 でも、人の目があるのとないのとでは、私たちの行動はそんなに変わってしまうものでしょうか。 2005年に、心理学者のハーレイらはちょっと変わった論文を発表しました。 本物の目ではなく、目のような模様であったとしても、見られているという意識が人の行動を変えてしまうのかどうか調べたのです。 集められた参加者248名は、それぞれペアとなり「独裁者ゲーム」をやらされます。 ペアになった2人をA、Bとすると、まずAに10ドルが与えられます。 Aは、それをBと分け合うのですが、配分の割合はAが自由に決めることができます。 どんな割合でも、B…
満を持して発足したコンプライアンス委員会。 朝日新聞社員には『コンプライアンスの手引き』という45ページからなる小冊子が配られますが、そこにはありとあらゆる規則が列挙されていました。 まるで、箸の上げ下げまで指導するような細かな内容でしたが、最も顰蹙を買ったのは「公益通報制度に関する規定」の項目。 そこには、こう記されていました。 「いわゆる内部通報制度ですが、『密告のすすめ』ではありません」 なぜ顰蹙を買ったかというと、社員の誰もが「密告」という手段が権力闘争に使われてきた朝日の黒歴史を知っていたからです。 新たに設置された「内部監査室」は、社長直属という強力な権限を…
2014年5月の、東京電力福島第一原子力発電所の吉田昌郎元所長の調書に関する記事は、まさに「世紀の誤報」でした。 朝日新聞は「所長命令に違反原発撤退」という見出しで、「フクシマ50」の名で英雄視されていた作業員たちが、実は所長命令に違反して現場から逃亡した卑怯者集団であるとセンセーショナルに伝えたのです。 これは超弩級のインパクトがありました。 でもよく考えてみると、事故から3年も経っているわけですから、所員の9割に当たる650人もの人たちが所長命令に背いて逃げたというのが本当なら、とっくにその事実が表沙汰になっていてもおかしくないはず。 この記事は、政治家に裏から手を回して入手し…
その本とは2015年に上梓された『朝日新聞―日本型組織の崩壊―』です。 著者は「朝日新聞記者有志」。 明らかに内部告発の書です。 これによると、朝日新聞に入社した新人の記者人生というのは、5年に渡る支局勤務の後、本社のどの部署に配属されるかでほぼ決まってしまうそうです。 花形部署は政治部、経済部、社会部の所謂「政経社」。 エリートにとっては「政経社」以外の部署は、出世街道から外れた“掃き溜め”なのだそうです。 いくら何でも“掃き溜め”は言い過ぎだろうと思っていたら、「政経社」以外の部署は給与体系が低く設定されているそうです。 “掃き溜め”は本当でした。 しかし、支局…
新聞は消滅してしまうのでしょうか? 今や情報は、インターネットで簡単に入手できる時代。 新聞というメディアは、果たして生き残ることができるのでしょうか。 ここ20年間の状況を見る限り、悲観的と言うしかありません。 まずは、全国の発行部数の推移から。 2000年に5,370万部だったのが、2020年には3,509万部まで落ち込みます。 20年間でなんと35%の減少。 1/3の世帯は新聞を取っていない計算になります。 朝夕刊のセットになるともっと悲惨で、減少幅は約60%。 スポーツ紙もほぼ同じ58%減。 今後も減少傾向が続くことが予想され、数量政策学者の…
本当に、東條英機ひとりが悪者だったのでしょうか。 赤松の証言によれば、東條が何度も口にした言葉があるといいます。 「海軍が『ノー』と一言いえばよかったのに、それを言わないから戦争になった」 保阪はこの言葉を赤松だけでなく、複数の陸軍の要人たちから何度も何度も聞かされたと言います。 なんとも虫のいい話ですが、それにしてもなぜ海軍は「ノー」と言わなかったのでしょう。 それは、そんなことが言える「空気」ではなかったからです。 強硬な開戦論者だった東條が、先頭に立って旗を振ることで醸成した開戦の「空気」。 その「空気」には海軍どころか、作った東條英機本人でさえも、もはや抗うことが…
戦争は二度と起こしてはならない。 それは誰しも思うことですが、日本のマスメディアが唱える「戦争反対」は的外れだと思うのです。 なぜなら、「戦争による悲惨な記憶を風化させるな」と、感情に訴えるだけで、「なぜ戦争が起きたのか」、「どうすれば戦争を防止できたのか」という論理的な検証が全くなされていないからです。 「過ちは繰り返しませぬから」と心に誓えば、自動的に戦争が防止できるわけではありません。 私たちがしなければならないのは、なぜ止められなかったのかその原因を究明し、権力に暴走させないための制度的なシステムを構築することです。 今回は、『昭和の怪物七つの謎』という著書で、東條英機に…
犬養毅は、政治家の宿命として多くのマイナス面を持っていました。 1930年(昭和5年)4月、浜口雄幸内閣はロンドン海軍軍縮条約で、補助艦の保有総トン数の日米比率を10対6.975にすることで合意し調印します。 事前に議会の承認を得た上での調印でしたが、野党の政友会の犬養毅や鳩山一郎が、「軍令部の承認を経ずに国防計画に関する条約に調印するのは、天皇の持つ統帥権を犯しているではないか」と言いがかりをつけ、民政党政権を執拗に攻撃します。 このことが、結果として軍部に「統帥権干犯」という伝家の宝刀があることを知らせてしまったことは、犬養らの歴史的な罪と言っても過言ではありません。 政権…
道子の脳裏に蘇った遠い記憶。 それは未亡人となった「お祖母ちゃま」のために建てられた、麻布の隠居所に荷物を運んでいた時のことでした。 道子の父、すなわち犬養毅の息子の健が、荷物の中に「張学良の手紙」の書簡箋があることに気づきます。 犬養健は、戦後吉田内閣で法務大臣に就任しますが、収賄容疑による自由党幹事長佐藤栄作の逮捕を阻止するべく、指揮権を発動したことが原因で失脚してしまった不運の政治家。 父が手にした書簡箋に、ある文字が書かれていたことを道子は思い出したのです。 それは実に鮮明な記憶でした。 「純白のリネン布にも似た極上の西洋紙が、中央にくっきりとみごとな楷書体を盛り上…
歴史上語られていることには、しばしばウソが紛れています。 教科書にも掲載された犬養毅の名言、「話せばわかる」もそのひとつ。 犬養毅の孫である犬養道子の話によると、事実はかなり違っているようです。 11歳でこの事件に遭遇した道子は、この伝説について「母の証言うらづけはない」と自身の著書に記しています。 では、犬養毅は一体何と言ったのでしょう。 1932年(昭和7年)5月15日夕刻、首相官邸にピストルの音が響き渡ると同時に、護衛の巡査が崩れ落ちます。 世に言う「五・一五事件」の始まりです。 道子の母親は、かねてより懸念していた軍部の襲撃であることを察知し、庭に下りて逃げるよう…
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