株式会社ファイブスターズ アカデミー
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小泉内閣が誕生したとき、私はある予言をしました。
それは『治安が劇的に悪化する』ということでした。
たしかに犯罪件数はうなぎのぼりに増え、一方で検挙率は戦後最低となってしまいました。
しかし、それでも私の予言は大はずれだったのです。
というのは、もっと深刻な事態を予想していたからです。
私は、1920年代に小泉首相とまったく同じ経済政策を実行した、浜口雄幸内閣の頃を予想していたからです。
まず、当時の時代背景をご説明しましょう。
第一次大戦後に訪れた好況はやがてバブルの様相を呈し、1920年には台湾銀行や鈴木商店の破綻によりバブル崩壊を迎えました。
そして、銀行の取り付け騒ぎにまで発展したため、日銀は特融を実行した上に関東大震災で発生した不良債権の肩代わりまで行いました。
しかし、国を挙げての不良債権処理の先延ばしは、景気の低迷を長引かせるだけの効果しかありませんでした。
そのとき、それまでの積極財政から一転して「緊縮財政」を掲げて登場したのが、井上準之助を大蔵大臣に据えた浜口雄幸内閣だったのです。
彼は、今まで延命が図られてきたいくつかの産業に対して大鉈を振るうという「財界整理」をスローガンとしました。
そして「一時の痛み」に耐えるよう、ラジオ番組や宣伝ビラなどで国民に訴えたのでした。
いかかですか?
時代背景も、内閣の主張も酷似していませんか?
これでもまだ似ていないと言い張る方のために、浜口首相がその風貌から『ライオン宰相』と呼ばれていたことも付け加えておきます。
さて、では結末はどうなったでしょうか。
その悲劇的な結末は、次回のブログでお話ししましょう。
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