株式会社ファイブスターズ アカデミー
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題名は忘れてしまいましたが、倉橋由美子の小説に、
「毎日ジャズ喫茶に通っているうちに、『モリタート』のアドリブまですっかり覚えてしまった」
という一節がありました。
それくらい、ソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』は、空前の大ヒットを記録したアルバムです。
当時のジャズ喫茶で、このアルバムがリクエストされなかった日は、
一日たりともなかったと言っても過言ではないでしょう。
しかし、私はあまり好きではありませんでした。
明るすぎるのです。
このアルバムの代表作である『モリタート』といい、『セント・トーマス』といい、
まるで太陽が燦々と降り注ぐカリブ海の砂浜で、
陽気においしいカクテルでも飲んでいるかのような楽しさを感じます。
私は思うのです。
ジャズとはもっと不健康なものでなければならないと。
地下の薄暗いジャズ喫茶で、洪水のように押し寄せる大音量に必死で抗いながらも、
世界中の憂鬱をひとりで背負い込んだかのように眉間に皺を寄せ、
冷めた珈琲を啜っては、目を閉じて首を振りながら俯いて聴く。
それが正統派ジャズである。
だから、ロリンズは苦手でした。
ところが、彼の歴史を紐解くと、明るいどころかむしろ“苦悩の人”という表現がぴったりするのです。
『サキソフォン・コロッサス』で、一躍時の人となったまさにその直後に、
突然表舞台から姿を消してしまいます。
彼は生涯で二度ほど、このような“失踪”をしています。
一度目は、クスリを絶つためでしたが、このときは酒を絶つためとか、
あるいはこのアルバムの出来が気に入らなかったため、なんてものまで諸説入り乱れています。
ジャズの最高傑作という絶賛を浴びながらもなお、出来に不満を感じていたなんて・・・。
これは、全くの憶測に過ぎないのですが、
私は「コルトレーンに脅威を感じていたから」という説に一票投じたいのです。
日野皓正によれば、マイルスがあえて二人のライヴァル心を煽るような行動をとることもあったようです。
しかも、この頃の二人のインタビューを見ると、お互いに相手のことを「当代きってのテナーマン」と認めています。
コルトレーンの演奏スタイルは、ロリンズとは対照的に極めてストイックなもので、
まるで求道者のような悲壮感までも身に纏っていました。
しかし、演奏から受ける印象とは反対に、ロリンズが誰よりも深い苦悩を抱えていたという事実は、
改めて人間の二面性ということを考えさせられます。
もしかしたら、彼の伸び伸びとした演奏は、内面の苦悩の裏返しだったのかもしれません。
ジャズメンとしての収入が途絶えたため、ロリンズは掃除の仕事で糊口を凌ぎながら、
毎日公園や橋の上で練習していたこともまた、ジャズファンの間ではとても有名な話です。
後に『橋』という題名のアルバムが発表されたくらいですから、本人にとっても忘れられない時期だったのでしょう。
『モリタート』は、もともとはブレヒトの『三文オペラ』という、ロンドンの貧民街を舞台にした戯曲の劇中歌です。
それを英語版にした『マック・ザ・ナイフ』という曲名の方が、私たちには馴染みがあります。
エラ・フィッツジェラルドやルイ・アームストロング、更にはオスカー・ピーターソンやケニー・ドーハムも、
収録の際にチョイスしたのはこちらの曲名でした。
歌詞を読むと、明るいメロディとは裏腹に、
何食わぬ顔つきで雑踏に紛れ込んでいる殺人鬼の話であることが分かります。
うーん、まさにこの曲自体が、二面性そのものではありませんか。
彼があんなにも豪放磊落で明るい演奏をしていたのは、
もしかしたら、内面に底知れぬ暗部を抱えていたためなのかもしれません。
そういえば、寺山修司の詩にこんな一節があるのを思い出しました。
鳥が翼で重量を支えていられるのは ある速度で空気中をすすむときに
まわりの空気が抵抗で揚力をおよぼし
それが鳥のさびしさと釣り合うからだ
(『人力飛行機のための演説草案』より)
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