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5☆s 講師ブログ

国家の臣民(2)

多くの日本人は国家に依存したがります。
でも、国家に依存することは、国民の権利を放棄することに他なりません。

これでは、天皇制国家の下での「臣民」、つまり「天皇の子供」と同じではありませんか。
敗戦により、やっと「天皇の子供」を卒業したと思ったら、今度は「国家の子供」ですか。
そもそも緊急事態を除けば、マスクを着用するかどうかは、一人ひとりが自分の責任で判断するべきことです。

つまり、着用するかどうか決める権利は、国民の権利そのものなのです。

考えてもみて下さい。
もし、国が「明日からマスクをつけてはならない」という命令を出したら、あなたは素直に従いますか?

自分で考えるのが面倒だから権利を放棄するというのなら、選挙で誰に投票するかも国家に決めてもらったらいいではありませんか。

国民に決定権があるのは、日本が民主主義の国だからです。
権威主義国家には、決定権などありません。

1976年9月、ミグ25戦闘機で函館空港に強行着陸した旧ソ連のビクトル・ベレンコ中尉は、3日後には希望通りアメリカに亡命することができました。

その後、ベレンコは死ぬまでアメリカで過ごしましたが、「アメリカで最も苦労したことは何か」という質問に対して大変意外な答えを発しています。

それは「選択の自由」。

旧ソ連では、自分で選択しなくてもよかったのです。
全て国家が決定してくれたのです。
でも、ベレンコの言う通り、確かに選択の自由というのは時には苦痛です。
なぜなら、責任が伴うからです。

もし、自己責任は負いたくないというなら、それは国家の言いなりになる、つまりファシズムに従うということです。
私たちは、自己責任を伴う選択の自由が保障されている国を、「民主主義国家」と呼ぶのです。

ある思想家の言葉があります。
「民主主義の後ろをファシズムが影のように歩いている」

民主主義の欠点は、なかなか結論が出ないことです。
まだろっこしいこと、この上ありません。

でも、そんな時こそファシズムが前に出るチャンスなのです。
ワイマール憲法下での、ナチスの登場がまさにそうでした。
歴史は繰り返します。
私たちは、歴史に対してもっと敏感にならなければなりません。

そういう意味では、今回のコロナ騒動というのは、ファシズムにどう対処するかの模擬テストみたいなものだったとも言えます。

今こそ、問わなければなりません。
私は「市民」なのか、それとも「国家の臣民」なのかと。
いやもしかしたら、すでに私たちは「マスメディアの臣民」になっているのかもしれません。

ところが、2020年以降の5年間に、マスメディアに対する信頼が大きく揺らぐ出来事が連続して発生しました。

最初は新型コロナです。
テレビ界は、視聴率を荒稼ぎする絶好のチャンス到来とばかりに、連日ワイドショーで大特集を組んで徹底的に不安を煽りました。

ところが、テレビ局のフィーバーぶりとは裏腹に、視聴者の間ではジワジワと不信感が広がっていきました。
視聴者が、テレビの過剰な演出に気づき始めたのです。
やがて、ワイドショーの無節操な演出は、トイレットペーパー不足という深刻な事態を引き起こします。

そもそも、「報道」とは「事実」のみを伝えるもので、そこに「演出」など必要ないし、あってはならないものです。
ましてや、テレビが社会的パニックを引き起こす誘因になるなど言語道断です。
「報道の自由」には、「パニックを引き起こす自由」は含まれていません。

マスメディアに対する不信感が視聴者に浸透し始めた2023年、もっと重大な問題が発覚します。
ジャニーズ事務所の元社長による、長年に渡る少年への性加害が外国の報道機関によって全世界に報道されたのです。

この問題を通じて、日本国民は極めて深刻な事実に気づかされます。
それは、日本のマスメディアは、自分たちにとって都合の悪いニュースは一切報道しないということです。
マスメディアが声高に主張する「報道の自由」とは、「都合の悪いことは報道しない自由」のことだったのです。

この不信感をさらに決定的にしたのが、2024年の兵庫県知事選挙に至る一連の騒動でした。

 

 

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