株式会社ファイブスターズ アカデミー
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新型コロナが猛威を振るっていた2020年、テレビのワイドショーではコメンテーターが口を揃えて、国がもっと強力な「外出規制措置」を取るべきだと主張していました。
中には、医師の意見がバラバラなことに腹を立てて、医師界の見解を統一すべきだと発言する人まで現れました。
このコメンテーターの肩書きは「政治評論家」でしたが、もし政治学者の意見がバラバラだったら、学界として見解を統一しなければならないことになります。
でも、政治に関する見解を統一するというのは、ファシズムそのものではありませんか。
それでもいいのでしょうか?
医学は「科学」だから、政治学とは違うという理屈は通用しませんよ。
なぜなら、政治学だって立派な「社会科学」の一分野だからです。
そもそも、専門家の意見は統一されていない方が、学問としては健全です。
自分は門外漢だから見解を統一してほしいというのは、自分の頭で考えることを拒否する行為に他なりません。
今回のコロナ騒動では、コメンテーターの言うことを鵜呑みにして、思考を停止してしまう人がたくさんいました。
まさに、「科学は死んだ」のです。
コロナ禍が収まりかけた2023年3月、「5類」移行を見据えた政府が、今後のマスク着用は個人の判断に任せると発表しました。
すると、コメンテーターたちは一斉に「国が決めるべきだ」と反論します。
自分では決められないので、全て国家の方で決めてほしいというわけです。
どうやら、この人たちの頭の中には「自己責任」という概念は存在しないようです。
でも、彼らが主張するように、国はどんな時でも国民の行動を一定方向に導いていくべきなのでしょうか?
保阪正康は、日本が戦争に突入していった過程を解明するため、関係者の証言を基にした作品を何冊も上梓しているノンフィクション作家です。
保阪は、戦時中の日本についてこんなことを述べています。
「天皇制国家の中で、国民は『臣民として』という立場だった」
「臣民」とは、国王などの君主に支配される側の人間のこと。
民主主義国家の場合は君主がいないので、「臣民」ではなく「国民」という言葉を使います。
さらに、保阪は戦時中の日本国民は天皇を容認するだけでなく、「天皇の子供」という存在だったとも述べています。
ところが、終戦とともに状況は一変します。
主権が「天皇」から「国民」に移ったのです。
要するに「国民主権」です。
これにより国民は「天皇の臣民」、すなわち「天皇の子供」ではなくなり、自立することを求められました。
国民一人ひとりに「市民」としての権利が与えられ、その権利をどう行使するかは各自の判断に委ねられたのです。
でも、多くの日本人は、どうしていいかわからず戸惑うばかりでした。
今回のコロナ禍と同じ状況になったわけです。
欧米では、市民と国家はフィフティー・フィフティーの関係にあると考えられています。
市民が国家に対して納得できないことがあれば、国家に異議を申し立てたり、最悪の場合は亡命するという手段に出ます。
実は、市民に関する基本的な考え方は日本も同じです。
日本国憲法第12条に、「この憲法が国民に保障する権利は国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と明記されています。
つまり、国民の権利というのは、国民自身の努力によって維持していくべきものなのです。
だから、国家に全てを決めてほしいというのは憲法12条に反する行為です。
もう一度言います。
市民と国家の関係はフィフティー・フィフティーです。
思えば、ワイドショーのコメンテーターは頻繁に「国の責任」について語りますが、「自己責任」という言葉は決して口にしません。
これは実に奇妙な話です。
だって、国の責任と国民の責任もフィフティー・フィフティーのはずだからです。
そもそも「権利」とは、「責任」と表裏一体のもの。
国民が「権利」を持つということは、すなわち国民一人ひとりが自分の判断に「責任」を負うということです。
でも、「責任」を自覚している日本人が、一体どのくらいいるでしょう?
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