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5☆s 講師ブログ

ピアノという名のリリシズム(4)

でも不可解なのは、このアルバムには、曰くつきの曲も収められていたことです。
マイルスの取り巻きの一人で、フィラデルフィアの元バーテンダーの愛称を曲名にした、B♭のブルース≪フレディー・フリーローダー≫。

1959年春、『カインド・オブ・ブルー』のレコーディング・スタジオに入ったウィントン・ケリーは、かつてない屈辱感を味わいます。
なんと、ピアノの前にはエヴァンスが座っているではありませんか。

マイルスは、なぜ二人のピアニストを用意したのでしょう?
しかも、辞めた人間をわざわざ呼び戻してまで。

この時マイルスは、≪フレディー・フリーローダー≫だけをケリーに演奏させました。
以来、エヴァンスはこの曲を弾いていません。
彼もまた、酷くプライドを傷つけられていたのです。

「音楽的遺言」では、この因縁の曲を、なぜかエレクトリック・ピアノを使って全く異なる印象に仕上げています。

どういうことでしょう?
何かのメッセージなのでしょうか?
謎は深まるばかりです。

思えば、『カインド・オブ・ブルー』には、エヴァンスにとってもうひとつの因縁の曲、≪ブルー・イン・グリーン≫も収録されています。
ある日、エヴァンスはマイルスのアパートで「Gマイナー」と「Aオーギュメント」と書かれた原稿用紙を見せられます。
「さあ、これでどうする?」と問うマイルス。

原稿用紙を家に持ち帰ったエヴァンスは、2つのキーをもとに曲を作り上げます。
ところが、完成したアルバムには、≪ブルー・イン・グリーン≫はマイルスとの「共作」と印刷されているではありませんか。
いくら「作曲者」の定義が曖昧な時代とは言え、エヴァンスにとって到底納得できる話ではありません。

そういえば、「ファット・チューズデイズ」の最後のステージでのこと。
休憩時間に、ヨーロッパから来たというジャーナリストのインタヴューを受けたエヴァンスは、挨拶を済ませるなり開口一番こう言っています。

「マイルス・デイヴィスのことは質問しないでくれ」

これは一体どういう意味でしょう?
かつて、引退中のマイルスの自宅を訪ね、再びステージに立つことを懸命に説得していたエヴァンス。
しかし、心の中では相当複雑な感情が渦巻いていたようです。

ビル・エヴァンスというピアニストは、例えるならば静寂が支配する真っ青な湖に浮かぶ一羽の白鳥のような存在です。
人々はその美しく優雅な姿に酔いしれますが、白鳥は水面下で必死に足を掻き苦しんでいました。

≪T.T.T.T.(トゥエルヴ・トーン・チューン・トゥー)≫という曲に関する中山康樹の質問に、エヴァンスはこんな風に答えています。

「あれは難しい曲だ。(略)私はいまだにあの曲を満足に演奏できたことがない。だから、今夜のステージでもトライすることになるだろう。それから、たぶん、あしたの夜も、そして、ずっとこれからも」

自らの意思で、もがき苦しむことをやめなかったエヴァンス。
そしてある日、白鳥は不意に飛び立ってしまいます。
水辺に遺された私たちに出来ることといえば、ただただ麻薬を憎むことだけでした。

でも、どうしてもわからないことがひとつあります。
エヴァンスは若い頃、プラトン、カント、ヴィトゲンシュタイン、ヴォルテールらの哲学書を読破していました。

また、日本の「禅」や「墨絵」に関心を持ち、マンハッタンの図書館の関連書物を片っ端から読み漁ったこともあります。
マイルスが、エヴァンスに『カインド・オブ・ブルー』のライナーノーツを書かせた背景には、そんな事情もあったのでしょう。

いずれにせよ、この膨大な知的堆積物が熟成発酵する過程で、あの内省的で沈潜的な演奏が生まれたことは間違いありません。
これほどまでに厳格に自己と対峙したはずのエヴァンスが、なぜあんなにも深く麻薬に溺れてしまったのでしょう?

彼が麻薬を覚えたのは、兵役に就いていた時と言われています。
確かに、典型的な中流家庭に育ち、インタヴューでは「幸福な少年時代だった」と回想した後で、わざわざ念を押すように「兵役につくまでは」と付け加えています。

しかし、兵役中の出来事については一切語ろうとしませんでした。

一方、極端な白人嫌いで知られるマイルスのグループに、ウェールズ人の父親とウクライナ移民の母親との間に生まれた白人として初めて抜擢されたことが、大きなプレッシャーになっていたと指摘する人もいます。

当時のマイルスは、白人を起用した理由を問われ、あの有名なセリフを吐いています。
「おれは最高のミュージシャンがほしいんだ。そいつが黒人だろうが白人だろうが、青、赤、黄だろうが関係ない」

しかし、現実問題として、エヴァンスが一部の黒人ジャズメンから逆差別を受けていたことは事実です。
「黒人のようにスウィングしない」という批判が公然とつきまとい、批評家のスタンリー・クロウチなどは「エヴァンスはチンピラで、彼の演奏はジャズじゃない。そこにはブルースがない」とまで公言するほどでした。

もし、この二つが原因ならば、エヴンスは戦争と人種差別の犠牲者だったと言えるかもしれません。

かつて“フィンガーズ”と呼ばれた神童は、サウスイースタン・ルイジアナ大学にほど近いルイジアナ州バトン・ルージュに、兄とともに静かに眠っています。
しかし、「死」と「麻薬」の絶妙なバランスが醸し出す美しい息遣いの作品の数々は、今もなお世界中のファンを魅了し続けているのです。

「君は僕の人生を見つけてくれた。
 他の大勢の人生もね。
 みんな君の手を通じてそれぞれ旅をしたんだ。」
   (ビル・ザヴァツキー『エレジー ─ ビル・エヴァンスのために』より          訳・新沢真理子)

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