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5☆s 講師ブログ

円安は国力を弱めるのか?(2)

不思議なことに高インフレにはなりませんでしたが、株価と地価は上がっていました。
これが日本のバブルの特徴です。
日本のバブルは、物価が上がるという形ではなく、株価と地価だけが上がるという形で現れていたのです。

ところが、日銀はこれを放置しました。

なぜ放置したのでしょう。
その理由は日銀の使命にあります。

日銀は、日銀の使命とは「物価」を安定させることだけと思っていました。
だから、「株価」と「地価」がどうなろうと「物価」さえ安定していれば、日銀の知ったことではないというのが日銀のスタンスでした。

物価が安定していたため、日銀は金融緩和策を継続しました。

これが「第一の失敗」です。

日銀は、正しいことをしたつもりでしたが、いざバブルが弾けてみると、日銀だけが悪者にされて世間から袋叩きにされます。
バブルを生み出した元凶とまで言われる始末。

これが日銀の怒りに火をつけました。
その恨みを晴らかのように、今度は一転してマネタリーベースをとことん絞ります。

これが「第二の失敗」です。
これが致命傷となりました。

「第一の失敗」であるマネタリーベースの過剰な緩和は、はっきり言ってどこの国でもある話です。
別に珍しいことではありません。

それどころか、日本のバブルは規模的には他国より小さい方です。
問題なのは「第二の失敗」の方、すなわちマネタリーベースを絞りすぎたことです。

ノーベル賞学者のクルーグマンは、この誤りをこんなニュアンスで例えています。
「一度車で人を轢いた後に、ギアをバックに入れて、もう一度轢き直した」
実に分かりやすいメタファーですよね。

その結果起きたのが、インフレ率がマイナスになるという「デフレ」です。
世間では、インフレとデフレは二者択一のように思われていますが、これはとんでもない誤解です。
デフレは滅多なことでは起きません。

経済学的に見ると、デフレは“超超超”異常事態です。
日銀が引き起すまで、「デフレ」というのは経済学のテキストの中にしか存在しない経済用語でした。
まさか現実の世界で起こるなんて、誰も予想していなかったのです。

世界の経済史を見ても、平時でデフレが起こったケースはありません。
つまり、日本のデフレは人類が初めて経験した、いや正確に言うと“経験させられた”「平時のデフレ」だったのです。

でも、なぜデフレは滅多なことでは起こらないのでしょう?
それは、中央銀行が「歴史に残るようなとんでもない間違い」、つまり「超異常な金融引き締め」をしない限り起こらないからです。
日銀は、その歴史に残るとんでもない間違いをしてしまったわけです。

間違った理由は、日銀は自らの存在意義を「インフレ・ファイター」だと考えていたからです。
日銀には、伝統的に「利上げは勝ち」で「利下げは負け」とする文化がありました。

もちろん、これは文化と呼べるような代物ではなく、ただの忌まわしい因習に過ぎません。
この悪しき因習が、インフレにさえならなければ、デフレになろうがどうなろうが日銀には関係ないという風土を生み出したのです。

彼らは、デフレは日銀の責任ではないと考えていますが、インフレもデフレも国民生活に多大な影響を与えることに違いはありません。
むしろ、デフレの方が深刻です。

なぜデフレの方が深刻なのかは後述するとして、他国はどうなっているのでしょう?
他国の中央銀行も、日銀と同じような間違いを犯しているのでしょうか。
実は一度もありません。

なぜなら、世界のほとんどの中央銀行は、二つのテーマを課されているからです。

ひとつは、過度なインフレを未然に防止すること。

もうひとつは、失業率が上がり過ぎないようにすることです。

ところが、日銀の場合は、なぜか後者の「失業率」に関して責任を負っていません。
だから、過度なインフレにさえならなければ、失業者が増えようが日銀には関係ないというスタンスになってしまうのです。

でも、失業者が増えることは中央銀行の政策と密接な関係があります。
どういうことか解説しましょう。
経済学の実証研究のひとつに、有名な「フィリップス曲線」というのがあります。

 

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