株式会社ファイブスターズ アカデミー
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小沢が取材を進めていくと、「時間予測モデル」の根拠である室津港のデータが怪しくなってきました。
宝永地震の隆起量1.8メートルと、安政地震の1.2メートルというデータは、旧東京帝大教授の今村明恒の論文が根拠でした。
今村は、江戸時代に室津に住んでいた久保野繁馬という人物に面会して、直接話を聞いたそうです。
そこで小沢は室戸市に出向き、久保野が書き残した記録を見つけたのですが、その古文書には重大な欠陥がありました。
計測した場所どころか、計測方法さえ書かれていないではありませんか。
さらには、潮位の影響についての記述もありません。
そもそも江戸時代の記録に関しては、事前に誤差の補正をしておくのが普通なのですが、そのような補正がなされないまま今村論文は発表されていました。
それに追い打ちをかけるように、決定的な事実が判明します。
江戸時代の室津港では、毎年千人規模の動員をして港湾工事を行っていたというのです。
この地域では、大地震でなくても地震が発生する度に湾の水深が浅くなるため、頻繁に浚渫工事をせざるを得ませんでした。
湾の深さが一定でないとなると、隆起量の記録自体が信用できなくなります。
南海トラフ地震の根拠となっていた「時間予測モデル」が、世界で唯一当てはまるケースだったはずの室津港のデータが、今音を立てて崩れ始めたのです。
この事実が公になると、政府発表が発表する地震確率など誰も信じなくなってしまいます。
非常に困った事態です。
ところで、「南海トラフ地震」の前に騒がれていたのは「東海地震」でした。
そもそも、世の中に対して最初に巨大地震の警鐘を鳴らしたのは東海地震です。
「地震予知」という言葉もこれがきっかけで生まれました。
実は、地震予知とか地震予測というものが迷走し始めた元凶は、この東海地震にあります。
1976年、当時は東大理学部助手で、後に神戸大学の名誉教授となる石橋克彦が「東海地震説」なるものを唱えたことが、大フィーバーの始まりでした。
石橋は、駿河湾を震源とするマグニチュード8クラスの巨大地震が「明日起きても不思議ではない」と、衝撃的な発言をします。
この発言は、文字通り日本中に“激震”をもたらしました。
それからわずか2年後の78年、当時の福田赳夫内閣は「大規模地震対策特別措置法(大震法)」を成立させます。
79年度から2020年度にかけて、静岡県には合計2兆5千億円以上という巨額の対策費が投じられました。
もちろんこれらは全て、「地震は予知できる」ことを大前提にしたものです。
その地震予知の根拠となっていたのが「前兆すべり」。
当時は、大地震の2~3日前には陸側と海側のプレートの境界で、「前兆すべり」という現象が起きるはずだと考えられていました。
そこで政府は、東海各地の地下に「ひずみ計」を設置し、24時間監視するという万全の態勢を整えます。
しかし、地震学者によると、前兆すべりと地震の因果関係が認められたケースは、過去にただのひとつもないのだそうです。
現に、阪神淡路大震災も東日本大震災も、予知どころか前兆らしきものの欠片さえ把握できませんでした。
これを受け、2016年の「中央防災会議」では新しい枠組みについて議論せざるを得なくなります。
しかし、その背景には別の理由もありました。
地震予知は可能という前提で成立したのが、「大規模地震対策特別措置法(大震法)」です。
もし、予知できていない状況で東海地震や南海トラフ地震が発生したらどうなるでしょう?
その場合は、大震法を成立させた政府が訴えられる可能性があります。
そんなことは絶対に阻止しなければなりません。
そこで内閣府はウルトラCの解決策を思いつきました。
予知を前提にした「警戒宣言」をなくし、代わりに「臨時情報」を出す仕組みを作ってはどうか。
これなら大震法を廃案にすることもないし、政府の無作為が問われることもありません。
政府が訴えられる可能性はなくなったのです。
めでたし、めでたし。
落としどころが見つかったので、もう新しい枠組みを議論する必要もなくなりました。
結果、中央防災会議は「予知は困難」という妥協点を見つけただけで閉会となります。
何のことはない。
地震行政の担当者にとっては、政府が訴えられる事態さえ避けられれば問題は解決したも同然なのです。
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
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