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5☆s 講師ブログ

メディアの闇(3)

2001年に有名タレントが警察に逮捕された時は、メディア側もさすがに報道しないわけにはいかなくなりました。

追い詰められたメディアは、苦し紛れに逮捕されたタレントを「○○容疑者」という肩書ではなく、「○○メンバー」というウルトラC級の新語を創り出して報道しました。
卑しくも「報道機関」を名乗る組織が、一芸能事務所の前に跪き、さらにはその靴を舐めるという屈辱的な行動を取ったのです。

メディアが主張する「表現の自由」というのは、このような言葉の言い換えのことを指すのでしょうか?
これはまさに、「メディアの死」を意味する象徴的な出来事でした。

テレビ局にとっては真実を伝えることよりも、利害関係者に不利益にならないように配慮することの方が優先だったのです。
その後、この芸能事務所に所属するタレントがニュースキャスターに起用されるようになると、芸能事務所は報道機関の「身内」になってしまいました。

これはとりも直さず、芸能事務所が報道内容をコントロールする力を持ったことに他なりません。
テレビ界は、視聴率が全てに優先する世界ではありますが、いくらなんでもこれはやり過ぎというというものでしょう。

テレビや新聞は、時々事実無根の報道をすることがありますが、問題はそこではありません。
問題は、報道されていない事案がヤマほどあることです。
どうしても報道せざるを得ない時は、テレビは極めて短時間、新聞は数行のベタ記事扱いで目立たないように報道します。

欧米では、テレビと新聞がお互いを監視する関係にあるので、テレビ側が報道を控えても新聞側は詳細に報道します。

ところが、日本ではテレビ局と新聞社が同じ資本系列にあるため、両者は同じ「利害関係者」を抱えてしまいます。
だから、両メディアが足並みを揃えて黙殺するという異常事態が発生するのです。

先進国で、このような資本関係が許されているのは日本だけです。
日本のメディア業界は、世界でも例を見ない極めて特殊な構造なのです。
本気で利害関係者への忖度をなくしたいのなら、テレビ局と新聞社が資本関係を持つことを法律で禁止すべきです。

さらに言うなら、自由主義の先進国の中で、新聞社の株式の自由な売買を禁じている国は日本だけです。
だから、新聞社はどんな不祥事を起こしても、株式市場から制裁を受けることはありません。

一般企業の場合、株価が急落すると経営権が乗っ取られる危険が増大します。
だから、経営のガバナンスが効くのです。

でも、日本の新聞社の場合はどんな不祥事を起こしても安泰です。
まさにやりたい放題。
日本のメディア業界は、世界でも極めて珍しい歪な法律に守られた「ガラパゴス」です。

マスメディアは、しばしば自身の役割は「権力の監視」だと主張しますが、それが機能しない最大の理由は、マスメディア自身が権力と深く癒着した構造に守られているからです。
そもそも、芸能事務所の権力さえ監視できない組織に、国家権力の監視などできるはずないではありませんか。

でも、「利害関係者」という名の権力者に対するメディアの忖度は、永久に続くものではありません。

たとえば、意図的にゴルフボールで車を傷つけ、保険の不正請求を行っていた大手中古車販売業者の場合は、テレビCMを打ち切った途端に「利害関係者」ではなくなってしまいました。
すると、その翌日からワイドショーは雪崩を打ったようにネガティブ・キャンペーンを開始しました。
わかりやすい構図ですよね。

田中角栄との関係も例外ではありませんでした。
メディアと田中の蜜月は、74年10月に急展開を見せます。

立花隆が雑誌『文藝春秋』で、田中のファミリー企業による信濃川河川敷の土地買収問題を暴いてしまったのです。
首相の金脈問題を提起したのがテレビでも新聞でもなく、放送利権とは無関係の出版社だったことは象徴的です。

思えば、社会的に反響の大きな事件を最初に報道するのは、決まって雑誌です。
絶対に新聞やテレビではありません。

北朝鮮による拉致問題の時も、新聞とテレビは頑なに沈黙を守りました。
オウム真理教の事件でも、地下鉄サリン事件が発生するまで教団名は一切伏せられていました。

それどころか、教団幹部に未放映の映像を見せたテレビ局さえありました。
それが原因で、教団と対立する弁護士が殺害されたことは、当のテレビ局の幹部も認めています。
こうなると、もはやメディアは加害者側の“手先”と言っても過言ではありません。

クレームを言うために大勢の人間がテレビ局を訪れただけで、この教団は「利害関係者」に格上げされたのです。
孤軍奮闘したのは週刊誌だけでした。

田中首相の金脈問題を暴いた、当時34歳の立花はこんな風に心境を語っています。

「自分は、あんな奴らに負けてたまるか、というのが原動力です。あんな奴らとは、田中角栄とそれを支えるすべての人間。積極的な加担者だけでなく消極的に言いなりになった加担者も含めて全部敵だ」

今のメディアに欠けているのは、このエネルギーではないでしょうか。
でも、もしかしたら立花の言う「消極的に言いなりになった加担者」の中には、新聞やテレビも含まれていたのかもしれません。

というのは、田中の金脈問題の噂は、当時政治家を取材していたメディアの記者なら誰でも知っていたことだからです。
これも、芸能事務所の問題とよく似てますよね。

ところが、テレビや新聞は、この時の『文藝春秋』の金脈報道を完全にスルーしました。
流れを変えたのは雑誌発売から半月後に開催された、日本外国特派員協会の昼食会。
招かれた田中に対し、海外メディアの記者たちが容赦なく次々と『文藝春秋』の記事に関する質問を浴びせかけたのです。

この構図も、芸能事務所のケースとそっくりです。
いつの時代も、利害関係者に忖度する日本メディアに「喝!」を入れるのは黒船です。

昼食会が終わると同時に世界は一変しました。
あらゆるメディアが掌を返して田中叩きに回ったのです。
犬だって、一度ご馳走をくれた飼い主には絶対噛みつかないのに。
この変わり身の早さと、一貫性のなさを全く恥じない姿勢こそが、日本のメディアが他の業界と決定的に違う点です。

メディアが敵に回ったことで、54歳の戦後最年少で首相に就任していた田中角栄は、あっという間に退陣に追い込まれます。

こうなると、どちらが「権力者」なのかわかりません。

代わって放送利権を引き裂いだのは野中広務。
この利権は、現在も政治家たちの間で脈々と受け継がれているのです。

もっとも、ネットの普及によりその旨味はかなり薄れてしまいましたが。
ところが、放送利権の甘い蜜を吸っていたのは政治家だけではありませんでした。

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