株式会社ファイブスターズ アカデミー
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会社の経営状態を自分の目で確かめようとグンゼを訪問した安田財閥総帥の安田善次郎は、事務室の前で粗末な木綿の着物を着て、草むしりをしている男に取り次ぎを求めました。
安田は知らなかったのです。
この男こそ社長の波多野鶴吉であることを。
一瞬で鶴吉の人となりを見抜いた安田は、「あなたの会社とその精神はよくわかりました。金融のことは何の心配にも及びません。この安田が引き受けました」と言い残して帰っていったといいます。
マンガみたいな話ですよね。
安田善次郎もまた教育にはとても熱心な人物で、東大に多額の寄付をしています。
彼の死後完成した講堂が、「安田講堂」と命名されたのはそんな理由からです。
でも、鶴吉が他の経営者と一番違っていた点は、そこではありません。
養蚕家から繭を買い付ける、買付業者たちに対する態度です。
少しでも安い値段で買い付けたい業者たちに対し、鶴吉はこう言い渡します。
「養蚕家は私にとって大切な株主であり、また可愛い娘の親でもある。決して繭を安く買おうと思わぬように。少しでも高く買うてやること」
なんと、業者に対して高値で買うよう“訓示”を垂れたのです。
高品質にこだわった理由はこれでした。
従業員教育に熱心だったのは、繭を少しでも高く買ってもらうためだったのです。
安売り競争に血道を上げる経営者は現代でも大勢いますが、それは結果的に商品だけでなく従業員の価値まで貶めることになっていませんか。
鶴吉は買付業者にも「郡是精神」を説き、「購繭員心得」なるものまで作っています。
そこには、「買って喜び売って喜ぶ取引をせよ」「品行を慎め」「競争するな」「衛生に注意せよ」などに混じって、「酒を飲むな」というものまであります。
そんな鶴吉の努力が実を結び、駆け引きや相場によって価格を決定する「見本取引」に代わって、科学的な鑑定方法で品質を評価する「正量取引」という合理的制度が採用されるようになります。
鶴吉の信念が、ついに商取引の制度まで変えてしまったのです。
高品質にこだわる経営は、その後訪れる数々の危機を乗り越える決め手となりました。
昭和初期には、アメリカでレーヨンなどの安価な繊維素材が生産されたため、生糸は大打撃を受けます。
大量に抱えた生糸の在庫が二束三文で買い叩かれるのは火を見るより明らか。
そこで、グンゼは最終製品の製造販売に踏み切ります。
目指したのは「金の品質、銀の価格」。
高価格で販売するためには、その価格を超えるだけの高品質でなければならない。
これこそが、安売り競争に巻き込まれないコツです。
この戦略で見事ブランド化に成功したグンゼは、太平洋戦争後の危機も見事に乗り切り、1950年代には揺るぎない地位を確立したのでした。
さて、波多野鶴吉という人物ですが、実は留岡幸助という牧師のもとでキリスト教の洗礼を受けています。
明治の初めに良質の生糸を生産していたのは上州。
富岡製糸場がある現在の群馬県です。
上州には生糸の取引で多くの外国人が訪れていたため、たくさんの教会が建てられていました。
鶴吉は生糸生産のノウハウを学ばせるため上州に人を派遣していましたが、おそらくその関係でキリスト教を知ったのでしょう。
鶴吉の伝記『宥座の器』を上梓したジャーナリストの四方洋は、鶴吉はキリスト教を通じてプロテスタンティズムの影響を受けていたのではないかと推測しています。
マックス・ウェーバーが説く「資本主義の精神」の中に、「天職」という考え方が登場します。
「世俗の職業は神の召命であり、われらが世において果たすべく神から与えられた使命なのだ」
ちなみに、ドイツには「仕事」を意味する言葉が二種類あるそうです。
ひとつは、自らの生涯をかけて貫き通す仕事のことで、「ベルーフ」と呼びます。
日本語訳は「天職」。
もうひとつは「金銭のために働く仕事」のことなのですが、こちらは「アルバイト」。
これに従えば、ほとんどのサラリーマンの仕事は「アルバイト」の方に分類されてしまうのではないでしょうか。
でも逆の見方をすると、金銭以外の何らかの意義が見つかりさえすれば、それはもう「天職」になるのです。
おそらく鶴吉も、このような思想に触れていたのでしょう。
鶴吉の洗礼を行った牧師の留岡幸助は、不平等社会の犠牲者である不良少年を救うため、「家庭学校」という名の感化院まで作った人物です。
鶴吉は会社に学校を作りましたが、留岡は家庭を学校に見立てたわけです。
二人に共通するワードは「学び」でした。
留岡の生涯は、後に毎日新聞の記者が岩波新書から書籍にして出版し、『大地の詩』という映画にもなりました。
彼の座右の銘は「一路白頭ニ至ル」。
これは「自分が信じた道を白髪になるまで貫く」という意味ですが、これこそまさに「ベルーフ」ではありませんか。
いや、もしかしたら白髪になるまで続けた仕事のことを、「天職」と呼ぶのかもしれません。
ちなみに、留岡の家庭学校には塀やカギの類いは一切ありませんでした。
監視よりも信頼に重きを置く、鶴吉の経営姿勢と一脈通じるものがありますよね。
でも、普段の鶴吉が説いていたのはキリスト教ではなく、二宮金次郎の「報徳思想」でした。
金次郎の言葉に、「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」というのがあります。
「道徳と経済の両立」という報徳思想の教えは、彼の脳内では「従業員教育と会社発展の両立」という風に翻訳されていたのでしょう。
マックス・ウェーバーも二宮金次郎も、労働と労働者の人間性を結びつけたところは共通しています。
でもグンゼの場合、教育の対象は従業員に限りませんでした。
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