株式会社ファイブスターズ アカデミー
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『グランツ』というウィスキーは、珍しい三角柱のボトルです。
三角柱と聞いて、シングルモルトの『グレンフィディック』を思い浮かべた人はかなりのウィスキー通。
実は、この二つのウィスキーは同じメーカーで作られています。
ウィリアム・グラント&サンズ社といいますから、ウィリアム・グラントとその息子達による家族経営であることがわかります。
父親がスペイサイドのダフタウンで仕立屋を営んでいた一人息子のグラントが、家業を継がずにモートラック蒸留所に20年勤めた後、念願のグレンフィディックを立ち上げたのは47歳の時。
七人の息子と二人の娘、そしてひとりの石工が協力しました。
蒸留に必要な用具一式は、『カードゥ』のジョン・カミングの妻ヘレンから中古を譲り受けるなどして一生懸命節約に努めましたが、用意した資金は蒸留所の建設で全て消えてしまいます。
『グレンフィディック』は御存じの通り12年もの。
ですので、彼らが精魂込めて作ったウィスキーが売れてお金が入ってくるのは12年も先の話 。
気の遠くなるような話です。
とりあえず原酒をブレンド会社に売って運転資金を稼いでいたのですが、最大の顧客であるパティソンズ社が倒産したため、いよいよ自社でのブレンドに踏み切らざるを得なくなりました。
結果生まれたのが『グランツ・スタンド・ファースト』。
「スタンド・ファースト」とはグラント家のモットーで、「頑なに伝統を守る」とか「地歩を固める」という意味があるそうです。
ファミリー全員が父親を支えました。
長男ジョンは、小学校の校長となり資金面で支援します。
次男ジェームズは弁護士として経営に参画。
三男、四男、五男はそれぞれ蒸留、糖化、発酵を受け持ちました。
肝心のセールスを担当したのは、長女イザベラの娘婿で元高校教師のチャールズ・ゴードン。
もちろんセールスは未経験です。
彼が取り組んだのは片っ端からの飛び込み訪問。
記録によれば、エディンバラ、グラスゴーからロンドンまで足を伸ばし、訪ねたバーやレストランの数はなんと503軒に上ります。
それでどれくらい売れたかというと、たったの1ケースだけでした。
しかし、ゴードンの偉いところは、それからです。
諦めなかったのです。
イギリス以外の国にも足を伸ばし、日本にも売り込みにやってきました。
今や、世界30ヵ国に60のエージェントを置く一大ネットワークとなっていますが、その基礎は全てこの頃に築かれたものです。
まさに、「継続は力なり」ですよね。
他社との差別化を図るため、三角柱のボトルに変えたのは1957年のこと。
三角形は「火、水、土」を表しているそうです。
100年前にウィリアム・グラントが考案した『グランツ・スタンド・ファースト』のレシピは、現在の『グランツ・ファミリーリザーブ』のベースに引き継がれています。
オリジナル・レシピは本社の金庫に厳重に保管され、グラント家以外でこのレシピを見ることができるのは、歴代のマスターブレンダー三人だけだそうです。
「頑なに伝統を守る」ための結束が、いかに固いかがわかります。
グラント一族の開祖は、1435年のダンカン・グラントに始まると言われています。
現在の一族は、同家の領地で「鹿の谷」を意味する「グレンフィディック」の西方、グランタウン・オン・スペイのグラント城に本拠を置いています。
彼らの歴史を紐解くと、スコットランド独立戦争の英雄サー・ウィリアム・ウォレスの盟友として戦った人物や、1745年のジャコバイト蜂起の際ボニー・チャーリーことチャールズ・エドワード・スチュアートに加勢した者など、歴戦の勇者たちがズラリと名を連ねています。
この元教師の戦いは決して派手なものではありませんでしたが、コツコツと地歩を固めていったおかげで、503軒も回ってたったの1ケースだった売上は、現在年間450万ケースに達しています。
『グレンフィッディック』の方は、シングルモルトとしての売上高が世界一。
地道な努力は、これ以上ない形で実を結んだのです。
時代は目まぐるしく変化しています。
マーケティングのやり方や、商品のデザインにも日々革新が求められます。
しかし、時代を超えて愛されるロングセラーというのは、往々にして愚直なまでに地道な取組みから生まれることが多いのですね。
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