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5☆s 講師ブログ

犠牲の上に築かれた名声(2)

野口には致命的な欠点がありました。
浪費癖です。

野口の本名は「清作」でしたが、当時の人気小説だった坪内逍遙の『当世書生気質(かたぎ)』に登場する放蕩者の書生、野々口精作と名前が似ていたことから改名を決意します。
しかし、明治の後半ともなると、改名は簡単なことではありませんでした。
そこで野口は、生まれた村の隣の地域に佐藤清作という人間がいたことを思い出し、彼の親に頼み込んで野口家に籍を移してもらいます。

そして、おなじ地域に同姓同名の人物が複数いては困るとの理由で役所に改名を上申したのです。
なんという執念。

しかし、後に坪内は野口の関係者の問い合わせに対して、「取り立てて実在の人物にアテが存在したわけではない」と答えています。

冷静になって考えると、この小説が出版された時、野口はまだ9歳。
野口がモデルになるわけがありません。
おそらく野口は、主人公の名前と素行から、世間が自分のことを連想するのを恐れたのでしょう。
ということは、本人もある程度自覚はしていたわけです。

野口の浪費癖は桁外れのものでした。
ハタチの時に東京に行きたい気持ちが募り、中学の学費を出してくれた恩師の小林栄から40円を貸してもらいます。
40円というのは現在の80万円に相当します。
ところが、夜遊びにより僅か2ヵ月で全額を使い果たし、家賃を払えず下宿を追い出されてしまいます。

そんな野口を救ったのが、歯科医の血脇(ちわき)守之助。
若き才能に期待した血脇は、歯科医学院の仕事を世話して野口に毎月15円の報酬を与えます。
現在の30万円ほどの給料ですが、これも遊びで使い果たしてしまいます。

野口が伝染病研究所から横浜検疫所に転職したちょうどその年、清国(現在の中国)でペストが発生します。
各国の研究者で結成される国際予防委員会に、日本からも医師団を送ることになり野口に声がかかります。
上昇志向の強い野口が断るはずがありません。

ところが、支度金として受け取った96円を出発までにすべて使い果たし、ほぼ無一文の状態になってしまいます。
そのため、10月半ばにも関わらず夏服で中国に渡ることになります。
この委員会で欧米諸国の医師団と付き合ったことが転機となりました。

日本国内で発表した日本語の論文など、世界的に全く評価されないことを知ったのです。
翌年の義和団の乱で帰国を余儀なくされた野口は、サイモン・フレクスナーを頼って渡米することを思いつきます。
早速、血脇にアメリカ行きをねだりますが「いつまでも人に頼るな!」と逆に一喝される始末。

困った野口は、女学生と結婚の約束を交わすことで持参金の300円、すなわち600万円もの大金を手にしてアメリカへと向かうのですが、この渡米もすんなりと実現したわけではありません。

出発の数ヵ月前、下見のために横浜港に出かけ挨拶のために検疫所に立ち寄ったところまではいいのですが、その帰途友人たちと一流料亭で芸妓をあげて豪遊し虎の子の300円を使い切ってしまいます。

酔いが醒めた野口は蒼くなります。
不憫に思った周囲の者たちは、高利貸しから300円を借りて野口をアメリカへと送り出したのでした。
彼らは、なぜそこまでして野口を支援したのでしょう。

明治の世になり、様々な分野で幅を利かせていたのは旧薩長閥。
明治維新の際、最大の朝敵とされたことで不遇をかこっていた旧会津藩の人々にとって、徒手空拳をものともせず果敢にサクセスロードを目指す若者の存在は、支援したくなる気持ちをくすぐるには十分なものでした。

ところが、野口はアメリカに着くや否や一方的に婚約を解消し、さっさとアメリカ人女性と結婚してしまいます。
結局、結婚の持参金300円は血脇が返済する羽目に。

野口の人格は明らかに破綻しています。
感染症の病原菌を見つける作業のことを、野口は「投機」と呼んでいました。
実験には天文学的な研究費用が必要ですが、野口にとって研究は一種のギャンブルのようなものでした。

名声を求める自己顕示欲が研究の原動力になったというより、金銭的に降りるに降りられない瀬戸際まで追い込まれていたという方が正しいのかもしれません。

しかし、野口がどれだけ支援者を裏切り、結婚詐欺まがいの行為を繰り返しても、世間から非難されることはありませんでした。
なぜなら、パトロンのサイモン・フレクスナーというビッグネームが、野口に対するすべての批判を封じてくれたからです。
学界の大物が睨みを利かせているのに、わざわざ追試や反論を行う科学者はいません。

これが、野口の暴走を止められなかった本当の原因です。
科学の世界では、「真実」よりも「権威」の方が力を持つことが往々にしてあるのです。

野口の間違いは単なる錯誤だったのか、あるいは故意による捏造だったのか、今となっては知る由もありませんが、すでに近年の医学史の教科書から「野口英世」という索引は削除されているそうです。

つまり、野口英世とは「医学」の世界で語られるべき人物ではなく、立身出世の「物語」の中でしか成立し得ない人物なのです。
日本国は、「物語」の中の人物を紙幣に登場させてしまったわけです。

黄熱病が、蚊によって媒介されることを実証した研究チームの一員アリステデス・アグラモンテは、野口の研究についてこんなことを述べています。
「記録には残っていないが、ワクチンを受けた多くの命が失われた」

いくら「物語」の中だけの偉人だったとしても、その偽りの名声が名もなき多くの犠牲者の亡骸の上に築かれていることを、私たちは決して忘れてはいけません。

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