株式会社ファイブスターズ アカデミー
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便利な移動手段のタクシー。
でもそこには、しばしば人生を変えてしまうような「運命の出会い」があったりします。
あるプロ野球球団のオーナーが乗ったのは、女性が運転するタクシーでした。
乗客の職業を知った彼女は、自分の息子が大学でピッチャーをしていることを伝えます。
一度見てもらえないかという彼女の願いを聞き入れ、取り敢えずオーナーはスカウトに視察を命じました。
ところが、スカウトがその強豪大学に足を運ぶと意外な事実が発覚します。
あまりにもケガが多くて、試合にはほとんど出ていないというのです。
でも、将来性には目を見張るものがありました。
2014年のドラフト会議で、広島東洋カープが「薮田和樹」を2位で指名した時、会場は騒然となります。
他球団のスカウトたちは慌てて手元のリストを見返しますが、薮田の名前を見つけることはできませんでした。
この全くノーマークの無名選手が、3年後には15勝を挙げる投手になるなんて、この時一体誰が予想したでしょう。
もし、球団オーナーがそのタクシーに乗らなかったら、薮田の野球人生は大学で終わっていたかもしれません。
ニューヨークでタクシー運転手をしていたティム・ハウザーの場合は、乗客との出会いによって人生が変わりました。
ある日、ギターを抱えた小柄な女性が乗り込んできます。
彼女が告げた行き先は「ヴィレッジ・ヴァンガード」。
聞けば彼女はシンガー・ソング・ライターで、ジャズにも興味があるとのこと。
実は運転手のハウザーは、かつて男女2人ずつの4人組コーラス・グループを結成しキャピトル・レコードからデビューを果たすも全く売れず、やむを得ず生活費を稼ぐためにタクシー運転手をしていたのでした。
2人は音楽の話題で大いに盛り上がり、試しにスタンダード・ナンバーをハモってみたところピッタリ合うではありませんか。
わずか15分ほどの乗車でしたが、すっかり意気投合した2人はお互いの連絡先を交換します。
乗客の名はジャニス・シーゲル。
やがてハウザーの音楽仲間でドゥ・ワップで活躍していたアラン・ポールと、オーディションで選ばれたロウレル・マッセが加わり4人組のコーラス・グループを結成します。
グループ名は、ハウザーが最初に結成したのと同じ「マンハッタン・トランスファー」。
同名のデビュー・アルバムがヒットしたのは、ジャズではなくポップスとして売り出したアトランティックの戦略的な勝利と言えましょう。
いつの時代もジャズは売れないのです。
ジャズ界の永遠のベストセラー『レイ・ブライアント・プレイズ』。
しかし、このピアニストが手にした報酬は、レコーディングの時に貰った数十ドルだけだったといいます。
逆に、ミュージシャンの方がトクをしたケースもあります。
鉄道会社のテレビCMでお馴染みとなった、コルトレーンの軽快なソプラノ・サックスが響く名曲『マイ・フェイバリット・シングス』。
彼のクァルテットが「ジャズ・ギャラリー」に出演していた時、休憩時間に無名の編曲家がアレンジ譜を売り込みに来ました。
次のステージで試してみたところこれが大ウケ。
コルトレーンはアレンジャーにギャラを支払って自分のものにしたのですが、その金額はわずか10ドルか20ドル。
後にこの曲がコルトレーンの代表作になることを考えると、随分安い買い物ですよね。
79年、マンハッタン・トランスファーは、テレビ番組「トワイライト・ゾーン」の同名テーマ曲をディスコ調でカヴァーしたことで世間の注目を集めます。
日本でも話題となり、デパートやウィスキーのCMへの起用が決まります。
タクシー運転手と乗客との出会いが、グラミー賞コーラス・グループ誕生のきっかけになるなんて本当に面白い話です。
これこそ運命の出会いと言うものでしょう。
タクシーで出会うのは、必ずしも人とは限りません。
音楽との出会いもあります。
車内に流れるカーラジオで、人生が変わったミュージシャンがいます。
1947年、ノーマン・グランツはカナダでのJATP の打ち合わせを終えて、モントリオールの空港へと急いでいました。
グランツは元々証券マンでしたが、ジャズ好きが高じて「JATP」というコンサートを主催していた人物。
JATPとは1944年の第1回の開催場所が、ロスのフィルハーモニック・オーデトリアムだったため、会場にちなんでつけられたコンサート名です。
最初は”A JAZZ CONCERT AT THE PHILHARMONIC AUDITORIUM”と名付ける予定でしたが、長すぎて正面のパネルに字数が入り切らなかったため、”JAZZ CONCERT AT THE PHILHARMONIC”としたのですが、やがてもっと短縮されて「JATP」と呼ばれるようになりました。
その日、タクシーのカーラジオから流れていたのは「ジ・アルバータ・ラウンジ」というクラブからの実況番組。
グランツが思わず耳をすました理由は、圧倒的なテクニックのピアノ演奏が流れてきたからです。
すぐに、グランツは運転手に向かって叫びます。
「タクシーをUターンさせて、クラブに向かってくれ!」
後にそのピアニストは、クラブのラウンジの階段を降りてきたスゥエードの靴を見た時、ノーマン・グランツだと確信したと述懐します。
その年、ニューヨークのJATPでデビューしたのはオスカー・ピーターソン。
グランツは、自分が素晴らしいと判断したミュージシャンは、肌の色に関係なく抜擢しました。
いや、むしろ人種差別を極端に嫌っていたという方が正しいかもしれません。
JATPのツアーでも、黒人メンバーが宿泊することにホテル側が少しでも難色を示すと、直ちに白人を含めた全メンバーの予約をキャンセルして別のホテルを探しました。
こんな人物だからこそ、ラジオから流れてきた演奏だけで抜擢を決めることができたのですね。
もし、タクシーのカーラジオがオフになっていたら、この24歳の若者の人生はどんな風になっていたのでしょう。
人はそれぞれの人生を毎日懸命に生きています。
しかし、それぞれの人生はバラバラで複雑な曲線を描きます。
稀に右肩上がりに一直線で上昇していく人もいますが、普通は上がったり下がったりを繰り返し、時には迷走することだってあります。
バラバラに進んでいた2本の線が、ある日ある時ある場所で交錯する、それが「出会い」というものです。
運命の出会いはあちこちに、そうタクシーの中にもあるのですね。
もしかしたら、私たちは普段から人生を変えるような人と出会っているのに、そうとは知らずにすれ違ってしまっているのかもしれません。
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