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5☆s 講師ブログ

ロシアを決して信じるな(2)

ロシア研究の第一人者である中村逸郎が、モスクワで最も近代的な設備を誇るシェレメーチエヴォ空港で巻き込まれたのは、手荷物が届かないという海外旅行にありがちなトラブルでした。
2個のスーツケースが行方不明になったのです。
カウンターに出向くと、すでに怒りに満ちた10人ほどの乗客が列を作っていたため1時間半ほど待たされてようやく順番が回ってきます。

担当者は、メールで各空港に問い合わせるとは答えてくれましたが、ロシアの空港職員が真面目に探すとは到底思えません。
その時、中村の脳裏に出発地のチター空港のことが蘇ります。
隣のチェックイン・カウンターで、モスクワのドモジェードヴォ空港行きの搭乗手続きをしていたのです。

その事を告げると、担当者の電話は数回のタライ回しを経た後、ようやくドモジェードヴォ空港の到着カウンターに繋がります。
幸運なことに、1個目のスーツケースはそこで見つかりました。
しかし、その空港からこちらの空港までの直行便がないため、一旦サンクトペテルブルク空港に送られて、そこから転送されてくるとのこと。

ところが、転送できるのはそれぞれの便の貨物室に空きスペースがある時に限られるため、いつ届くかは皆目見当がつかないというのです。
翌日の便で東京に帰る予定の中村は思わず声を荒げます。
「あなたは冗談を言っているのですか」

2つの空港は同じモスクワにありながらも、都心を挟んで南北に位置しているため、直線距離は70キロも離れています。
航空会社の社員に車で届けてほしいという中村の懇願は、ミスをしたのはチター空港の職員だからという理由で呆気なく拒否されます。
やむなく中村はタクシーでドモジェードヴォ空港に向かうことにし、運転手と交渉して往復約4万円で手を打ちます。
もちろん自腹。

そして、ドモジェードヴォ空港でやっとスーツケースと再会できたその時、中村の携帯が鳴ります。
もう1個のスーツケースが、チター空港に積み残されていたことを知らせる電話でした。
翌朝の便でシェレメーチエヴォ空港に届けられるので取りに来て欲しいとのこと。
一瞬歓喜に震えた中村ですが、すぐに正気を取り戻します。

もしかしたら、明日も空港の職員が積み忘れるかもしれないではないか。
あるいは、もし貨物室に空きスペースがなかったらどうなるのか。

電話口でその不安を伝えると、相手の女性職員はこう答えるのでした。

「ここは日本ではありません。
ロシアですので、明日何が起こるのか誰も予想できません。
あなたが明日のことを心配するなんて私には驚きです」

開いた口が塞がらないとはこのことです。
「では、私はどうすればよいのですか」と聞くと、こんな答えが返ってきました。

「今あなたができることは、ひたすら祈ることです」

いいとか悪いとかではないのです。
これがロシアなのです。

2022年2月24日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始します。
ワイドショーでは、コメンテーターが好き勝手な個人的見解を述べていました。
日本は言論の自由が保証されている国なので、名誉毀損に抵触しない限り何を言っても罪に問われることはありませんが、彼らがどこまでロシアという国を理解できているのかは甚だ疑問です。
いや、そもそも私たち日本人が、ロシアを理解することは不可能なのではないでしょうか。

絶望的なほど過酷な自然環境の中で、絶望的なほど無能な為政者に代々支配されてきた国ロシア。

想像を絶する過酷な過去。
不安そのものの未来。
そして、閉塞感に満ち満ちた現在。
その深い呪縛の闇から一瞬でも心を解放するために、ある時は罵りそしてある時は祈る。

全く異なる環境下で育ってきた私たち日本人が、知識としてその歴史を学ぶことはできたとしても、理解することなど到底不可能だと思うのです。

私たちにできることは、相手を「理解」することではなく、理解できない相手として「認識」することではないでしょうか。

中村が日本人との違いをもっとも強く感じたのは、ロシア人が飲み干したウォッカのグラスを床に叩きつけて割ることだったと述懐します。
飲み干す度に割るので、しばらくすると床はグラスの破片だらけ。
転んだら怪我をするのに、なぜこんな危ないことをするのでしょう。

日本人が第一に考えるのは「安全・安心」。
それが最優先です。

しかし、ロシア人は違います。
いや、ロシア人だけでなく、世界中の人々が最優先に考えることは「安全・安心」ではありません。

新型コロナの対応では、その違いが明らかになりました。

法律で決められているわけでもないのに、ほぼ全ての国民が炎天下でもマスクをしている国なんて世界中探しても日本しかありません。

外国人にしてみれば、これほど不気味な国はないでしょう。
私たちはそれを肝に銘じなければなりません。

ロシアの価値基準は世界標準とはかなり異なりますが、同様に日本の価値基準も世界標準とは相当違うのです。
いいとか悪いとかの問題ではありません。
正しいとか間違っているという問題でもありません。

それぞれの国には、その国特有の価値観や世界観が存在します。
それを否定することはできません。
いや、絶対に否定してはならないのです。

日本人が考える平和や安全保障の概念を、世界に向けて発信したところでそれは無意味です。
ロシアが自国の正義を発信するのと同じ行為です。
そうではなく、お互いの違いを認め合った上で、どう折り合いをつけていくかを考えるべきです。

しかし、違いがあるとは言っても、絶対に共通認識が必要なこともあります。
それは、冒頭紹介したような「有事」の場面における判断基準です。
特に核や生物兵器、化学兵器といった所謂「大量破壊兵器」の使用については、それぞれの国で独自の価値観や世界観があってはならないのです。

ところが、2004年にロシアがクリミア半島を併合した際には、プーチンが核を使用する準備をしていたことを明らかにして世界を震撼させました。
いま、私たちが改めて認識しなければならないことは、大量破壊兵器を使用するかどうかのハードルが、驚くほど低い国が存在するという紛れもない現実です。

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