株式会社ファイブスターズ アカデミー

Jazz and freedom go hand in hand．
「ジャズと自由は手をつないで行く」

ピアニストのセロニアス・モンクがそう表現した通り、１９５０年代のアメリカでは公民権運動に代表される人種差別反対運動が盛り上がるのと機を一にして、それまで上流社会のダンスミュージックに甘んじていたジャズが、バップという新しい演奏手法を手に入れることによって黒人の魂の叫びへと変貌を遂げます。

しかし、６０年代に入るとジャズは明らかに行き過ぎてしまいます。
旋律やコード進行といった決まりごとをすべて無視した、あの忌々しいフリー・ジャズが始まったのです。
フリー・ジャズは、例えて言うなら安部公房の小説に似ています。
次の日、必ずお腹を壊します。

一方でその反動か、正統な音楽教育を受けたミュージシャン達による、お行儀のいいウェストコースト・ジャズも台頭します。
ジャズシーンは百花繚乱と言うよりも、「カオス」と形容する方が適切なほどの混迷期に入ったのでした。

そこに、一服の清涼剤のような爽やかな風を吹き込んだのが スタン・ゲッツ。
ジャズにボサ・ノヴァを取り入れた「ジャズ・ボッサ」を引っ提げて颯爽と登場します。
しかし、その穏やかで心地よい演奏とは裏腹に、彼の人生は激動そのものでした。

この時代の黒人ミュージシャンは押し並べて激しい人種差別の中で育ちますが、スタン・ゲッツは白人であるにも関わらず人種差別を受けました。
父親がユダヤ人だったからです。
ウクライナ移民の子としてフィラデルフィアに生まれニューヨークのブロンクスで育ちますが、印刷工場に勤める下級労働者だった父親はユダヤ人だという理由でユニオンにも入れず、赤貧洗うが如しの生活を送ります。

ゲッツはベースをやりたかったのですが、狭いことこの上ない家にはベースの置き場所などあろうはずもなく、やむなくサクソフォンを手にします。
父親がなけなしの金を叩いて買った中古品でした。

１５歳の時、花形バンドのジャック・ティーガーデン楽団のリハーサルを見学に行きますが、たまたまレギュラーのテナー奏者が現れなかったことでチャンスを掴みます。
この若さで正式メンバーになれた背景には、働き盛りの人間がほとんど兵隊に取られてしまっていたという事情もあります。

しかし、マトモな音楽の知識を持ち合わせていない少年にとって、ビッグバンドでのプレイはプレッシャー以外の何者でもありません。
ストレスと恐怖から逃れるため、意識がなくなるまで酒を飲むようになるのに、それほど多くの時間はかかりませんでした。

１５歳で本格的なアルコール中毒、１７歳を迎える頃にはヘロインに手を伸ばすようになります。
スタン・ゲッツというミュージシャンは、ある意味「特殊能力」の持ち主と言えます。
というのは、普通はアルコールやヘロインをやると意識が希薄になってしまうのですが、彼の場合は逆に集中力が高まって演奏が研ぎ澄まされてくるのです。
本人はこれを「アルファ状態」と呼んでいましたが、何とも不思議な話です。
でも、薬物は確実に体と精神を蝕んでいきました。

この若き才能に目を付けたのが、プロデューサーのノーマン・グランツ。
なんと、クール派の白人テナーのゲッツに、ワイルドな黒人バップ・トランペッターのディジー・ガレスピーをぶつけることを企画します。
どう見てもこれは水と油の組み合わせ。

５４年のアルバム『ディズ・アンド・ゲッツ』のサイドを固めるのは、オスカー・ピーターソン(ピアノ)、ハーブ・エリス(ギター)、マックス・ローチ(ドラムス)、レイ・ブラウン(ベース)。
高速演奏もなんのそのという芸達者の揃い踏みです。
この時ゲッツは、目にも止まらぬ速さでテナーを吹きまくりました。
この化学反応こそグランツの狙いだったのです。

スタン・ゲッツというと、６０年代のジャズ・ボッサのイメージが強いため、どうしてもスローな演奏を連想しがちですが、実はハイスピード演奏もお手のもの。
５１年の代表作『アット・ストーリーヴィル』に収録された『パーカー５１』では、文字通りチャーリー・パーカーを彷彿とさせるハイスピード演奏を披露しています。

ところが、『ディズ・アンド・ゲッツ』の素晴らしいセッションを終えた直後に悪夢が襲います。
麻薬捜査官による家宅捜索を受けてしまったのです。
捜査官の狙いは、夫と同じく重度の麻薬中毒だった妻のベヴァリーが持ち込んだヘロイン。
パニックになったゲッツは拳銃を持ち出して抵抗したため、警官に逮捕されてしまいます。

妻がとっさの判断でヘロインをトイレに流したため不法所持の罪科だけは免れましたが、腕に残る注射痕は隠しようがありません。
カリフォルニア州の刑法では、麻薬を使用しているだけで重い罪に問われます。
保釈金を積んで取り敢えず収監だけは免除されますが、１ヶ月後には裁判所に召還されることに。
それでも、法廷で有罪を認めた２日後には、再びグランツのためにスタジオ録音を行います。
もし、グランツと出会っていなかったら、彼の人生は一体どうなっていたのでしょう。

ゲッツが法廷で受けるであろう判決は、刑務所での最低９０日の服役と予想されました。
そこで、服役に備えるためにヘロインを止め、代わりに鎮痛剤のバルビツールを服用します。
この頃のゲッツは、ジーン・ノーマンの主催するツアーで北部地域を回っていたのですが、このステージはズート・シムズ、ワーデル・グレイらと共に、３本のテナーでバトルを繰り広げるという実にタフなもの。
大変なプレッシャーです。

ところが、ヘロインの禁断症状に加え、アルコールとバルビツールの相乗効果でゲッツの精神状態は崩壊寸前。
周囲の人間に片っ端からケンカを売りつけたりするので、誰一人近寄れない状態になりました。
ゲッツの人となりについて好意的な話をする人が皆無なのは、恐らくこの頃のことが影響しているのでしょう。
そして、ついに最終公演の地シアトルで最悪の事態が起こります。