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5☆s 講師ブログ

なぜ、いじめはなくならないのか?(2)

ケージの中のヨーロッパキジバトのオスは、無惨にも後頭部から尾の付け根にかけて羽毛をむしり取られ、なんと皮まで剥がされていました。
ここからは、『ソロモンの指環』(日高敏隆訳)からローレンツ自身の言葉を借りて説明するとしましょう。

「この赤裸の傷口のまんなかに、もう一羽の平和のハトがえものをかかえたワシのようにふんぞりかえっていた」のです。
そして、「この畜生は文字どおり『踏みにじられた』相手の傷をなおもたえまなくつつきまわしていた」そうです。
ローレンツは続けます。
「私は同族の仲間をこんなにひどく傷つける脊椎動物をみたことがない」

弱いヨーロッパキジバトの皮膚を剥ぎ取り、内臓が剥き出しになってもなお攻撃の手を緩めないジュズカケバト。
ハトは、ニワトリ同様集団で弱者を攻撃することもあるそうです。

では、ハトとは対照的に、戦争の象徴に例えられるタカはどうでしょう。
タカは普段から争いが絶えないので、戦いのやり方に自ずとルールができあがり、その都度わかりやすい決着がつくのだそうです。
それに比べてハトの場合は、戦い慣れしていない分一度攻撃が始まってしまうと手段を選ばなくなります。
しかも、戦いを止めようとする個体がいないと、攻撃はどんどんエスカレートしていきます。

ローレンツはこう指摘します。
ヒトは、ハトと同様の生態学的特質を備えていて、その本質は極めて残忍であると。

しかも、閉ざされた空間の中では、その残忍さがより一層増します。
正高信男は、学校を閉ざされた檻に例えると、子どもたちは逃げ場を失ったハトのようなものではないかと警鐘を鳴らします。
「動物はいじめをしない」という言葉の裏には、ヒト以外の動物は自殺しないという意味も込められていました。

そもそもヒトは派閥を作る動物。
そう考えると、身体への直接的な攻撃はともかくとして、「仲間外れ」などの精神的な攻撃までなくすことは不可能なようにも思えます。
もし、いじめを完全になくすことが不可能だとするなら打つべき手はただひとつ。
深刻な事態に至る前、つまり火種のうちに対処することです。

でも、そんなことができるのでしょうか。

その糸口を、ジャーナリストの窪田順生が見つけました。
国立教育政策研究所と文科省が編纂した『平成17年度教育改革国際シンポジウム報告書』の中に、『いじめ―傍観者と仲裁者―の国際比較』という興味深いレポートが掲載されています。

日本の他に、近年いじめ問題が認識された3ヵ国、すなわちカナダ、韓国、オーストラリアで行ったアンケート調査を比較したものです。
この調査がユニークなのは、いじめ問題を単に「加害者」と「被害者」の視点から捉えるのではなく、その周辺にいる子供たちがどのような関わり方をしたのかについても分析していることです。

調査結果を見る限り、いじめの発生率自体は必ずしも日本が高いというわけではありません。
どこの国にも、いじめは存在するのです。
海外でも、「いじめ」は“bullying”という言葉で定着しているそうです。

ところが日本の場合、いじめの周辺にいる子供たちの関わり方について、他国には見られない特徴がありました。
それは、いじめを見て見ぬふりをする「傍観者」が非常に多いということです。
言い換えると、いじめをやめさせようとする「仲裁者」がきわめて少ないとも言えます。

日本以外の国は、中学生くらいになると「傍観者」の割合が減っていき、それに代わって「仲裁者」が増えていきます。
ところが、日本は「傍観者」が右肩上がりに増え続け、「仲裁者」はどんどん少なくなっていきます。
要するに、見て見ぬふりをして、できるだけいじめには関わらないでおこうという子どもがどんどん増えるのです。

社会学者の森田洋司らが1997年に行った日本、イギリス、オランダにおける小・中学生の調査でも、全く同様の結果が得られています。
つまり、日本のいじめの特徴は、少数の「加害者」と少数の「被害者」の周辺に、圧倒的多数の「傍観者」が存在していて、「仲裁者」がほとんど現れないことです。

なぜ、多くの子どもたちは、仲裁者として名乗り出ることをせず、知らんぷりを決め込んでいるのでしょう?

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