株式会社ファイブスターズ アカデミー
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香月が画家であることを申告したとたんに待遇は劇的に変わります。
以降はプラカードやスターリンの肖像画を任されるようになり、屋外での過酷な重労働は免除されました。
収容所の応接間の壁掛けを任される頃には、食べるものに困ることはほとんどなくなっていたといいます。
横山操のように職業をひた隠し、黙々と厳冬の重労働に甘んじた画家もいましたが、だからと言って香月を非難することはできません。
なぜなら、私たちは極限状況を体験していないからです。
戦後、生まれ故郷の山口県三隅町に戻った香月は、まるで何かに取り憑かれたように、方解石の粉末と炭粉を混ぜた黒灰色のキャンパスの上に、さらに真っ黒な死者の顔を描き続けました。
全57点にも及ぶ「シベリアシリーズ」。
あまりに不気味な画風が逆に話題となり、各地で「香月康男展」が開催されることになります。
私が『涅槃』と出会ったのもそのひとつでした。
でも本当は、香月はシベリアを描きたくはなかったのではないでしょうか。
というのは、シベリアを描くことは香月にとって心の安定とは真逆の行為だったからです。
では、香月をキャンパスに駆り立てていたものは、一体何だったのでしょう。
人類に対する暴挙への告発でしょうか。
あるいは凍土に葬られた仲間への贖罪でしょうか。
内村剛介は『生き急ぐ』を上梓するに当たり、その決意のほどをこう語っています。
「生き残って今娑婆にある者が、死者に代わって、獄中にある者に代わって、語らないとしたら、それは犯罪であると言っていいだろう」
内村だけでなく香月も石原も、遠いシベリアで起きた「事実」を、「事実」としてありのままに証言しようとしただけではないでしょうか。
それが「告発」と決定的に異なるのは、感情が伴っていない点です。
もはや、いいとか悪いとかの問題を超越しているのです。
善悪の価値観を超えて、「事実」は揺るぎない「事実」として、そこにただ蹲っているのです。
でも心の奥底では、凍土に埋もれた仲間たちの怨嗟の呻きを代弁することに、微かなカタルシスを感じていたのかもしれません。
そもそも、異国で終戦を迎えた日本人は、神のために戦っていたはずです。
ところが、その神は真っ先に逃げ帰り、そして彼らは、神によっていとも簡単に「棄てられ」たのでした。
V・ガリツキーが、捕虜抑留者業務管理総局の報告書を分析したところ、旧ソ連により抑留された日本軍捕虜の総数は約61万人で、そのうち死亡したのは6万1千人ほど。
驚くべきことに、その6万1千人の死者の99%は下士官と兵卒でした。
間違いなく、神々は真っ先に逃げ帰っていたのです。
日本の降伏を知った香月が最初にしたことは、目の前の貨車のシートをナイフで切り取り、絵の具箱を入れる袋を作ることでした。
「一切が天皇の所有である軍隊の物資の一部を切り裂いて、絵描きである私が、絵を描くための道具を作るという行為の中に、はじめて私は終戦を実感した」
香月は『私のシベリア』の中にそう記しています。
石原はクリスチャンですが、香月は違います。
香月にとっての絶望とは、神に棄てられたことではなく、信じるべき神そのものを失ってしまったことではないでしょうか。
この時、異国に残された日本人だけでなく、本土で終戦を迎えた人々も体験した喪失感とは、いかばかりのものだったのでしょう。
「シベリアシリーズ」が人々の心を捉えて離さないのは、香月の描いた果てしない漆黒の闇が、日本国民がかつて体験した途方もない喪失感と、どこかで共鳴しているからではないかと私は思うのです。
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