株式会社ファイブスターズ アカデミー
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道子の父親渡辺錠太郎は、貧しい家庭に育ちました。
そのため勉学の道を諦め、学費を要しない軍関係の教育機関に進みます。
若い頃から、月給の半分を書籍代につぎ込むほどの学究肌で、天皇を神権化するグループとは一線を画していました。
それどころか、どちらかというと、美濃部達吉の「天皇機関説」を評価していたといいます。
そのような渡辺の理知的な振る舞いは、精神論を標榜する陸軍大臣荒木貞夫や、陸軍大将眞崎甚三郎らの皇道派の目には、実に目障りなものとして映っていました。
1936年(昭和11年)2月26日。
皇道派の影響を受けた陸軍の青年将校たちが、1,483名の下士官や兵士を率いてクーデターを画策します。
朝6時、物音に気づいて目を覚ました陸軍教育総監渡辺錠太郎は、すぐに娘の和子を揺り起こします。
そして、母の元に行くよう命じました。
渡辺邸には、警護のために2人の憲兵が泊まり込んでいましたが、早朝に緊急の電話を受けていたにも関わらず、錠太郎や家族に知らされることはありませんでした。
後に憲兵は「2階で身支度をしていた」と、信じられないほど間抜けな言い訳をしています。
おそらく、陰で何らかの大きな力が働いていたのでしょう。
拳銃を手に、たった1人で応戦せざるを得なくなった錠太郎ですが、ここで予想もしなかったことが起こります。
一旦は部屋を出た和子が、父のことが心配になり再び部屋に戻ってきたのです。
錠太郎は娘に目で合図を送り、部屋の隅に立てかけた座卓の蔭に隠れるよう伝えます。
暴漢たちは玄関から中に入ろうとしますが、陸軍技師の柳井平八が設計した渡辺邸は極めて頑強な造りで、扉は軽機関銃で破壊されても開かなかったそうです。
そのため、安田優少尉と高橋太郎少尉ら青年将校と数名の兵士たちは、急いで屋敷の裏手に回り、庭から土足のまま部屋に侵入してきたのでした。
和子は、座卓越しに将校たちが錠太郎の足を狙って、軽機関銃を連射するのを目撃します。
「ああ、逃がさないためだな」と思ったときには、すでに父親の片足は跡形もなく吹き飛んでいました。
次は胴体。
ひとしきり乱射が終わると、将校たちは念のために銃剣で止めを刺しました。
彼らが立ち去ると同時に、和子は座卓の陰から飛び出し「お父様!」と叫びます。
しかし、錠太郎はすでにこと切れていました。
9歳の少女が立ち会うには、あまりに凄絶な父親の最期。
間もなく母親が飛び込んできて、父の姿を一瞥すると、「和子は部屋から出ていきなさい」と命じます。
母親は一切取り乱すことなく、少女もまた一滴の涙も流すことはありませんでした。
靴音高く迫り来る戦いの時代への覚悟が、個人の感情を超越していたのかもしれません。
これが渡辺和子の原体験であり、彼女にとっての「置かれた場所」でした。
和子がカトリックの洗礼を受けたのは、10代の終わり頃。
友人から「和子さんは鬼みたい」と言われたことがきっかけです。
聖職者となった和子は「赦す」ことを覚えますが、それでも「二・二六事件は、私にとって赦しの対象から外れています」と静かな口調で、しかしきっぱりと言うのでした。
50回忌の年には、処刑された青年将校たちが眠る麻布の賢崇寺に、将校の遺族らとともに墓参りをしますが、それはキリストの「汝の敵を愛せよ」という教えに基づくものではなく、父の口癖だった「敵に後ろを見せてはいけない」という言葉を思い出したからでした。
しかし、和子の怒りの矛先が、青年将校たちに向けられているわけではありません。
「私がもし怒りを持つとするならば、父を殺した人たちではなく、後ろにいて逃げ隠れをした人たちです」
陰で青年将校らを扇動していたと噂される眞崎甚三郎は、昭和天皇が断固討伐の意思を明確にしたとたん、その態度を一変させます。
昔の軍隊も、現代の会社組織と驚くほど似ていますよね。
青年将校たちもまた被害者だったわけです。
眞崎は裁判にかけられますが、「反乱部隊を利した行為は明らかだが、利せんとする意思に基づくものかは認定できない」という、訳のわからない理由で無罪となります。
私たちが「正義」と思い込んでいるものは、実は単なる時代の「空気」に過ぎなかったりするものです。
和子は、「社会でうまく行かず打ちひしがれている人、誰からも大事にされていないと思っている人たちにこそ、『置かれた場所で咲きなさい』を読んでもらいたい」と言います。
「誰かに咲かせてもらえると思うのは間違いで、自分が変わらなければ何も変わらないということに気づいてほしいからです」
どうやら私たちは勘違いしていたようです。
「咲く」というのは、「我慢して自己実現に努力する」ことではなく、「自分を変える」という意味でした。
それを踏まえた上で、改めて渡辺和子と南直哉の主張を見比べてみると、結構似ているところが多いように感じるのは私だけでしょうか。
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