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5☆s 講師ブログ

神々は真っ先に(1)

とにかく真っ黒な絵画でした。
でも、目を凝らして観ていると、暗闇の中に何かがうっすらと浮かび上がってきます。

それが幾つも幾つも描かれた人間の顔だと気づくまで、それほど時間はかかりません。
げっそり肉が削げ落ちた頬に大きく窪んだ目。
鼻筋が一本通っていることを除けば、髑髏にも似たそれは紛れもなく、シベリアの凍土に埋葬された兵士たちの顔。
耳を澄ませば、祖国に棄てられた者たちの、静かなる怨嗟の呻きが聞こえてくるようです。

今から30年ほど前、絵画に全く興味のない私が、時間潰しのためにふらりと立ち寄った絵画展で香月泰男の代表作『涅槃』を観た瞬間、私の脳裏に浮かんだのは詩人石原吉郎のエッセイ『望郷と海』でした。

1945年(昭和20年)8月15日。
日本が降伏したこの日、大陸に残された日本人の数およそ600万。
1919年(大正8年)に建立された朝鮮神宮の宮司たちは、御神体を皇居に返納するべく大急ぎで作業に取りかかりました。
天照大神と明治天皇の御神体がいち早く空路で祖国に帰還を果たすと、次は植民地支配で「神々」の地位にあった官僚や高級将校の番です。

でも、そこまででした。
残された多くの兵士と民間人は、あっさりと祖国日本に「棄てられた」のでした。

カリフォルニア大学バークレイ校の歴史学教授アンドリュー・E・バーシェイは、その著書『神々は真っ先に逃げ帰ったー棄民棄兵とシベリア抑留』の中で、画家の香月泰男と詩人の石原吉郎にスポットを当てています。
「望郷」と、「絶望」との間に存在する永遠の落差を、香月は絵筆で、そして石原は言葉で表現しようと試みました。

しかしその一方で、彼らの作品が私たちの理解を頑ななまでに拒み続けていたことも事実です。
いや、恐らくナチスの強制収容所に匹敵するほどの極限状況を、自らの身をもって体験した者の手の内にしか、落差を読み解く鍵は存在しないのでしょう。
私たちが、その体験の意味を理解しようとしても、所詮それは無駄な努力というもの。
なぜなら、体験自体が、意味を超えた圧倒的な存在として、私たちの前に立ちはだかるからです。

1967年8月、石原は、画集『シベリア』の刊行記念として銀座松屋で開催された「香月泰男展」を訪れます。
案内したのは評論家の内村剛介。
内村もまた、終戦を迎えたロシアで反ソ諜報活動などの罪に問われ、25年の禁固刑を受けた後ラーゲリで11年を過ごした男です。
しかし、石原が香月と顔を合わせたかどうかは定かではありません。
なぜなら、展示会が開催されている間中ずっと、香月はワインで酩酊し何処かに隠れていたからです。

それは香月なりの照れ隠しだったと見る向きもありますが、私はそうは思いません。
というのは、石原のようにシベリア抑留を体験した者が展示会を訪れることに、香月は幾ばくかの後ろめたさを感じていたのではないかと思うからです。

香月が送られたセーヤ収容所は過酷を極めました。
250人を超える抑留者のうち、厳しい冬を越えることができたのはわずか50人。
仲間の亡骸を埋葬する穴を掘るにも、堅い凍土が相手では5時間も費やさなければならなかったといいます。
この時、監視の目を盗んで密かにスケッチした死者の顔が後の『涅槃』のモチーフになるのですが、次は自分の番かもしれないという不安も募りました。

ところが、画家であることを申告したとたんに待遇は劇的に変わります。

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