株式会社ファイブスターズ アカデミー
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カーチス・エマーソン・ルメイは太平洋戦争末期、連合国軍の爆撃司令官として1945年3月10日の東京大空襲を指揮した人物です。
東京大空襲の死者数は10万人以上とされていますが、ここでも正確な数はわかっていません。
ルメイが爆撃したのは東京だけではありませんでした。
大阪や名古屋、富山や郡山への空爆も彼の指揮によるものです。
当時の日本人は「鬼畜ルメイ」とか「皆殺しのルメイ」と言って彼を憎みましたが、この大量殺戮作戦が実行された背景には、アメリカ軍内部の複雑な勢力争いが関係していました。
後に「アメリカ空軍の父」と呼ばれることとなる、陸軍航空軍司令官ヘンリー・ハーレー・”ハップ”・アーノルドには野望がありました。
当時「空軍」という独立した組織は存在せず、「航空軍」は陸軍の支援をするための弱小組織に過ぎませんでした。
そのトップに就任したアーノルドは、「航空軍」を独立組織である「空軍」に昇格させたいと強く願います。
そのためには、日本本土への空爆作戦で成果を挙げることが絶対条件でした。
しかし、そこには大きな壁が立ちはだかっていました。
空爆と言えばB29ですが、この爆撃機は敵機の攻撃を受けにくい高度1万mという超高高度を飛行します。
あまりに高度が高いため、軍事施設などの目標をピンポイントで攻撃する「精密爆撃」が困難だったのです。
当時のアメリカ大統領ルーズヴェルトは、日本やドイツの空爆を「女性や子どもを含む大勢の市民が警告なしに空からの攻撃で殺された」と強く批判しました。
つまり、アメリカは一般市民を巻き込む「無差別爆撃」ではなく、”人道的な空爆”とでも言うべき「精密爆撃」を目指していたのです。
そこで頼みの綱としたのがノルデン照準機。
この照準機は、風の流れや飛行高度などをセットすると自動的に空爆のタイミングを計算してくれるという、現代のコンピューターのような優れモノでした。
この照準機の開発により、B29でも「精密爆撃」が可能になったのです。
ところが、実験では成功したのに、本番の空爆は全て失敗に終わります。
命中率はわずか2.5%。
原因はジェット気流でした。
B29が飛行する日本の上空1万mに、時速200kmを超える猛烈なジェット気流が吹き荒れているなどと一体誰が予想したでしょうか。
まさに、B29の開発により初めて明らかにされた自然現象でした。
「精密爆撃」の失敗によりアーノルドの焦りは加速します。
実は、B29は特別プロジェクトによって作られたため、アメリカ軍のどの組織が指揮権を執るのか正式には決まっていませんでした。
陸軍のマッカーサーと海軍のニミッツは、その指揮権を巡って激しい鍔迫り合いを演じます。
マッカーサーが指揮権を欲しがった理由は、戦争に勝つためというよりも、B29を使って海軍の攻撃目標を先に爆破することで手柄を横取りするためでした。
一方のニミッツも思惑は同じ。
共にライバルに先んじて日本上陸を果たし、本土決戦に持ち込むことを目指していた2つの軍隊にとって、B29は相手を出し抜くために絶対必要なツールだったのです。
もし本土決戦となっていたら、竹槍を唯一の武器に「一億総玉砕」を掲げていた日本の被害が一体どれほどのものになったかは、島全体が戦場と化した沖縄を思い浮かべるだけでおおよその見当がつきます。
相手を出し抜くことしか頭にない陸軍と海軍。
そして、独立組織を目指す航空軍の三つ巴の構図のド真ん中にB29が置かれていたわけです。
大統領と統合参謀本部を説得し、取りあえずB29の指揮権を手にしていたアーノルドにとって、もし空爆で成果を挙げられなければ指揮権を剥奪されることは明らか。
失敗が許されない、絶体絶命の局面で爆撃司令官に任命されたのがカーチス・ルメイでした。
追い詰められたアーノルドとルメイの頭の中には、もはや”人道的な空爆”などという、甘っちょろい考えは存在していませんでした。
ついにアメリカは、「無差別爆撃」即ち「非戦闘員の大量虐殺」という禁断の果実に手を伸ばしてしまったのです。
木造家屋と、無防備な一般市民を焼き尽くすことだけを意図した焼夷弾投下作戦は、予想以上の戦果を挙げました。
“ハップ”というニックネームは「ハッピー」に由来するものだそうですが、大量虐殺を成し遂げて最高にハッピーな気分のアーノルドは、ルメイに「おめでとう」と祝福のメッセージを贈ります。
アーノルドは日頃から、「日本人という民族を完全に駆除するためには何をしても構わない」と公言して憚らない人物でした。
この思想を批判することは間違いです。
なぜなら、日本軍の大本営も「一億総玉砕」を最終目標に掲げていたからです。
かたや「殲滅の力学」。
かたや「破滅の美学」。
立脚する思想は異なりますが、両国が同じ最終地点を目指していたことこそ、戦争の本質を表しているように思えてなりません。
この時アメリカが、人として越えてはならない一線を越えてしまったことが、その後の原爆投下作戦に対して反対する理由が見つからなかった最大の原因です。
以上が、カーチス・ルメイが「鬼畜ルメイ」、「皆殺しのルメイ」と呼ばれた由縁であり、同時にアーノルドがアメリカ空軍で「英雄」として尊敬されている理由でもあります。
要するに、アメリカ「航空軍」が「空軍」という独立した組織になるという野望のために、何10万人もの罪なき一般市民が黒焦げになって死んでいったということです。
ところが、終戦を迎えると様相は一変します。
「鬼畜米英」の合言葉は、一夜にして「ギヴ・ミー・チョコレート」に変わりました。
そのことを批判するつもりはありません。
それは日本にとって必要な変化だったからです。
しかし、ルメイが戦後日本の航空自衛隊の育成に協力したとして、1964年に勳一等旭日大綬賞まで授与する必要はあったのでしょうか!
大量殺戮の実行者に勲章を与えるなんて、お人好しにもほどがあろうというものです。
まるで、ヒトラーにノーベル平和賞を与えるようなものではありませんか。
いくら日本人が争いを好まない平和主義者で、過去のことはすべて水に流すタイプだからと言っても、忘れてよいことと、忘れてはならないことがあるはずです。
その区別が曖昧になってしまうと、また同じ間違いを起こすかもしれませんよ。
マスメディアは「戦争の記憶を風化させるな!」と盛んに呼びかけますが、マスメディアの言う記憶とは、「辛かった」とか「悲しかった」という「感情」の記憶です。
感情の記憶が、時間の経過と共に希薄になっていくのは防ぎようのないこと。
ましてや、戦争を体験していない世代に記憶を引き継ぐことなど不可能です。
だから、大量殺戮の張本人に勲章を与えたりしてしまうのです。
本気で戦争を防止したいのなら、戦争が起こった経緯を論理的に検証すべきです。
そして、どのような協定や法律を整備すれば防止できるのかという、現実的な議論を始めるべきです。
次の世代には、感情ではなく論理で引き継ぐべきなのです。
「過ちは繰返しませぬから」と宣言しておきながら、一体誰が、どこで、何を過ったのかについての論理的な検証は十分に行われたのでしょうか。
マスメディアは、まずそのことを論じるべきです。
なぜなら、戦争は決して天災ではないのですから。
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