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5☆s 講師ブログ

プロミスド・ランド(2)

コルトレーンは、公民権運動に関してストレートな意思表示をすることはありませんでしたが、その代わり曲名に黒人としての拘りを感じると藤岡は指摘します。
57年に録音した『ダカール』は、セネガルの首都名。

セネガルと言えば、世界遺産の「ハウス・オブ・スレイヴ(奴隷売買の館)」がある国です。
ただし、もともとこの曲は別の題名で59年に発売されたものでした。
それを、コルトレーン人気の高まりと同時に盛り上がった公民権運動に便乗し、プレスティッジが63年にわざわざアルバム名を『ダカール』に変更して再発売したのです。

58年録音の『バイーヤ』は、南米ブラジルの都市サルバドールの昔の名称。
かつて奴隷船は北米に向かえばニューオリンズに、南米に向かえばバイーヤの港に着いたのです。

しかし、50年代後半は人種差別がいまだ激しく、当然のことながらこの曲もお蔵入りとなってしまいます。
ようやく陽の目を見たのは、公民権運動が最高潮に達した7年後の65年のこと。
ビジネスの世界では、人種差別という問題さえも儲けのタネになってしまうものなのですね。

人気が不動のものとなった61年、コルトレーンはインパルスに移籍します。
インパルスは、ABCパラマウントという大会社が作ったジャズ部門の新レーベル。
その記念すべき第1弾が、ジャズ界のビッグネームの移籍第1作目となるわけですから、インパルスとしてもここは一発勝負を懸けたいところ。

オーケストラまで用意してコルトレーンのご機嫌を伺います。
コルトレーンも、オーケストラには思い入れがありました。
57年のギル・エヴァンスの手によるマイルスのオーケストラ共演作『マイルス・アヘッド』に誘ってもらえず、悔しい思いをしたことがあるからです。

ところが、コルトレーンが全身全霊を傾け、徹夜までして録音したアルバムのタイトルは『アフリカ/ブラス』。
またも黒人のルーツに拘った題名です。
なぜそんなに拘るのかの謎解きは後でするとして、一見するとインパルスもそれを黙認したかのように見えます。
ところが、内情はかなり複雑でした。

このアルバムの収録曲は『アフリカ』など3曲。

ところが、この日録音したのは5曲でした。
お蔵入りとなった2曲は、どちらもあの『バカイ』を作曲したキャルヴィン・マッシーの手によるもので、『ダムド・ドント・クライ』と『ソング・オブ・ジ・アンダーグラウンド・レイルロード』。
アンダーグラウンド・レイルロードと聞くと「地下鉄」のことかと思ってしまいますが、そうではありません。
この言葉は、白人のクエーカー教徒らを中心とする地下組織が築いた、黒人奴隷を解放するための「秘密のルート」を指す隠語なのだそうです。

19世紀には、多くの黒人奴隷が差別の激しい南部から、比較的緩やかな北部へと決死の脱出を試みました。
彼らの逃亡を助けるため、あちこちに地下組織の拠点が設けられたのですが、それらを結ぶルートこそ「アンダーグラウンド・レイルロード」。

でも、コルトレーンは当初、『フォロウ・ザ・ドリンキン・ゴード(北斗七星をたどれ)』という曲を演奏する予定でした。
まさに、奴隷たちは北斗七星を目指して北部に逃げたのです。

白人たちも猟犬を使って奴隷を追いかけます。
犬の嗅覚から逃れるために、胡椒を撒いたり小川を渡ったりして匂いを消します。
もし捕まれば、凄絶なリンチが待ち受けているわけですから逃げる方は必死です。

運良く追手から逃れることができたとしても、その首には懸賞金がかけられ、一生「お尋ね者」として生きていかなければなりません。
それでも、北部に逃げ込みさえすれば生き延びるチャンスはあったのですが、1850年に「逃亡奴隷法」が強化されると、奴隷たちはさらに北のカナダを目指すしかなくなったのでした。

コルトレーンの祖父は、父方、母方とも教会の牧師。
当然、幼い頃から彼らが語る「プロミスド・ランド」のことを聞いて育ったはず。
「プロミスド・ランド」とは「自由が約束された土地」、すなわち「北部」を意味します。
おそらく、北部に逃亡する奴隷たちを手助けする地下組織についても耳にしていたことでしょう。
さらには、ゴスペルの歌詞の中に隠された、北斗七星の暗号のことも学んだのでは。

こんなややこしい話を題材にしているわけですから、演奏する曲目を変えたくらいで事態が収まるはずがありません。
レコード会社にとっての「お客様」は、レコードを買ってくれる人。
それは、まさしく「白人」に他なりません。
悩んだ末に、インパルスはこの曲をお蔵入りにしてしまいます。
契約書には「曲目の選択権はコルトレーンが有する」という条項があったにも関わらずです。

さぞ、悔しく思ったことでしょう。
この時期コルトレーンと交際していた女性の日記には、彼がその無念さを吐露していたことが記されています。
お蔵入りの2曲が世に出たのは、コルトレーンの死後のことでした。

そんなジャズの歴史を振り返りながら、改めて現在の人種差別反対運動の盛り上がりを見ると、まさに隔世の感があることは否めません。
世界は今、確実によい方向に向かって進んでいます。
しかし、そのベクトルの根っこの部分には、数え切れないほどの黒人たちの犠牲と、そして差別への抵抗を止めなかった反骨の魂が埋められていることを忘れてはなりません。

さて、そんなコルトレーンのソロ演奏ですが、ある際立った特徴があります。
それはとにかく「長い」ということです。
一度ソロを吹き始めると終わらないのです。
まるで、黒人奴隷たちの暗黒の歴史に纏わる、様々な思いが泉のように沸々と涌き出てくるかのようです。

「どうやって演奏を止めたらいいかわからない」
そう言い訳をするコルトレーンに、マイルスはこう言い放ちました。
「サックスを口から離せばいいだけだ!」

なるほど、マイルスの言う通りです。
長い長いコルトレーンのソロは、今日もジャズ喫茶で多くのファンを魅了しています。
批評家のナット・ヘントフは彼をこんな風に評しました。
「コルトレーンの最大の魅力は、完全なものを追究し続ける求道者的な点だ」

でも、私は思うのです。
コルトレーンが生涯を通して追い求めていたのは、音楽的な高みだけではなかったのではないかと。
キング牧師は、白人社会の中に黒人が組み入れられる「統合主義」を唱えました。

ところが、同じく非暴力で公民権法を推進したマルコムXは、黒人だけの社会の建設、すなわち黒人の「独立分離」を目指したのです。
コルトレーンは、来日した際のインタヴューでマルコムXのことを聞かれ、「尊敬している」と答えています。
しかも、2回も。

黒人が黒人のルーツを正しく理解し、そして黒人であることに誇りを持って暮らしていける「プロミスド・ランド」。
北部とは違う、黒人による、黒人だけの「プロミスド・ランド」。
その建設の夢も、彼の心の中では結構大きな部分を占めていたように思えてなりません。

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