株式会社ファイブスターズ アカデミー
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その日、江ノ島電鉄の総務課長を務めていた楢井進は、密かに辞表をしたためていました。
万一の事態が起こった時には、すべての責任を取る覚悟だったからです。
驚くべきことに、彼が職を賭けてまで実現したかったのは、縁もゆかりもない少年の「運転士になりたい」という夢を叶えることでした。
16歳の新田朋宏君は、拡張型心筋症という、数万人にひとりの難病を患っていました。
心臓を動かす筋肉が弱いため、心不全が起きやすくなる病気です。
生後7ヶ月の時に診断されて以来、ずっと医療サービスが充実した専門の養護施設に入っていました。
9歳の時には、最愛の母親を同じ病気で失うという悲しみも経験します。
なんとか中学校には進学したものの、呼吸困難に陥って救急車で運ばれると、後は病院で過ごす日々となってしまいました。
先の見えない闘病生活が続く中、たったひとつの楽しみが鉄道でした。
父親に撮ってきてもらった江ノ電のビデオを見ては、電車の絵を描きます。
時刻表も隅々までチェックし、鉄道雑誌も欠かさず取り寄せるうちに、いつしか将来は電車関係の仕事に就きたいと思うようになります。
しかし、病状は一向に回復する兆しが見られません。
そんなある日、朋宏君を発作が襲います。
万一のことを覚悟した父親に、医師はこう告げました。
「あと3ヶ月も、もたないかもしれません」
その時、父親が強く願ったことは、何とかして「運転士になりたい」という朋宏君の夢を叶えることでした。
ボランティア団体に相談すると、すぐにいくつかの鉄道会社に手紙を書いてくれました。
その中でたった1社だけ前向きな返事をくれたのが江ノ島電鉄でした。
なんとも不思議な偶然です。
ただ、江ノ電の総務課長の楢井も、それほど深く考えて返事を書いたわけではありませんでした。
せいぜい運転席に座って、運転士気分を味わってもらえればそれで十分だろう。
ところが、朋宏君の強い気持ちを知り考えを改めます。
「なんとかして運転させてあげたい」
必死になって法律や規則を見直すうちに、ある一文が目に飛び込んできました。
列車を運転する資格について定めた項目の中に、免許がなくても運転できるという例外事項を見つけたのです。
それは、車庫への引き込み線でした。
ついに突破口が見つかったのです。
しかし、当然のことながら社内から反対の声が上がります。
楢井は、粘り強くひとりひとりを説得して回っただけでなく、絶対に本線に支障を来さないようあらゆる手を尽くしました。
本線への分岐点には、万一の際に緩衝となるよう車両を1台配置しました。
念には念を入れて、当日は特別ダイヤも組みました。
そして、迎えた1998年11月11日。
車椅子に乗った朋宏君が藤沢駅のホームに現れます。
着用しているのは新品の制服。
この日のために江ノ電が用意してくれたものです。
運転席のすぐ後ろに陣取り、車庫に向かって電車が動き出します。
と同時に、関係者全員が不測の事態に備えて配置につきました。
線路沿いの道路を併走する車には、サポート隊の医師と看護士が乗り込んでいます。
普段は無人の駅にも駅員が立ち、その電車を敬礼で迎えます。
車庫に到着した朋宏君が目にしたのは、昭和初期に活躍した108形など3種類の車両。
少年はそのすべての運転席に座り、前進やバックを心ゆくまで繰り返します。
昼食は近くのラーメン店から取った出前を、運転席でペロリと平らげます。
誰の目にも、生きる力が朋宏君の全身に漲っているのがわかりました。
父親は、まるで夢を見ているようだったと振り返ります。
しかし、その人生最高の日を過ごした4日後、少年は静かに旅立ってしまいました。
もしかしたら、病弱な体に余計な負担をかけてしまったのでは、と心配する楢井に父親はきっぱりとこう答えます。
「違います。江ノ電を運転できるという目標があったからこそ、息子はあの日まで生きることができたのです」
でも、その目標から生きる力を貰っていたのは、朋宏君だけではなかったのではないでしょうか。
父親は毎年11月11日になると、午前11時12分藤沢発の江ノ電に乗り、運転席のすぐ後ろ、すなわち朋宏君の車椅子があった場所に立ちます。
流れゆく車窓の風景を眺めながら、スウィートなあの日の思い出に浸るのです。
朋宏君と、そして彼の夢を支えてくれた、すべての人たちに思いを馳せながら・・・。
この話を、「感動の物語」という陳腐な一言で片付けることは簡単です。
でも私には、少年の夢を実現するために東奔西走し最後には辞表までしたためた、総務課長楢井進の生き方が気になって気になってしようがありません。
縁もゆかりもなく、しかも余命幾ばくもない少年の夢を実現させるために、人はここまで一生懸命になれるのですね。
そして、彼の熱意こそが、多くの関係者を突き動かした正体です。
人の心を動かすというのは、こういうことを言うのですね。
思えば楢井もまた、朋宏君の熱い思いに心を動かされたひとりでした。
現役をリタイアしたサラリーマンが自らの半生を振り返るとき、誇るべき過去として蘇るのは昇進できた役職名などではなく、首を賭けてまで取り組んだ遠い日の「燃焼」の記憶ではないでしょうか。
でも、そんな輝ける経験を持つサラリーマンはそれほど多くないはず。
この話はNHK・BSプレミアムの『沁みる夜汽車』で放送されたものですが、製作スタッフは「泣ける」とか「感動できる」ではなく、心にグッときて、共感できる番組づくりを目指していると言います。
私見ですが、現代ほど「感動」が大安売りされている時代はないのではないでしょうか。
SNSには、まるで青果店の店先に積まれたジャガイモのように、一山いくらの安っぽい「感動」がゴロゴロ転がっています。
海を見ても感動し、料理を食べても感動し、そのうち息をしても感動することになるのでしょう。
感動するのはその人の勝手ですが、問題なのは「感動した」ですべてが終わってしまうことです。
完結してしまうことです。
その先がありません。
そこから何を学び、自分の生き方の何を見直すべきかを考える人は稀です。
でも、本来「感動」というものは、そのような心の動きを伴うもののはず。
あなたは、どうですか?
この課長の生き方から、一体何を学びますか。
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