株式会社ファイブスターズ アカデミー

まずはお気軽に
お問い合わせください。

03-6812-9618

5☆s 講師ブログ

翡翠探し

いつの頃からか、若者たちが「自分らしく」ありたいと主張し始めるようになりました。
就活の場面では、それが最も重要な判断要素となるようで、「自分らしく」あり続けることが難しいと感じた会社は、どんなに給料が高くても選択肢から外されてしまいます。

でも、不思議なことに「自分らしく」とは具体的にどういうことか尋ねても、明確な答えは返ってきません。
では、「自分」に何ができるのかと聞いても、やはり答えは返ってきません。
それでも、若者たちは「自分らしく」ありたいと願うのです。

それなら、「自分」と「他人」はどう違うのか、「自分」に出来て「他人」に出来ないことは何なのか聞いても、答えは決まって「よくわかりません」。

でもでも、「自分」は他の花とは違っていて、「世界に一つだけ」の特別なオンリー・ワンなのです。

私には、この論理が全く理解できませんが、若者の中にはその「自分」を見つけ出そうと、果敢に行動を起こす人もいます。
所謂「自分探し」です。

この、摩訶不思議で意味不明な若者の専門用語は、定義付けも曖昧なままあっという間に世の中を席巻し、流行語大賞でも取りそうな勢いで蔓延してしまいました。

批評家の若松英輔は、新潟県糸魚川市の出身です。
子供の頃、友人たちと一緒に、姫川の河口へ翡翠を探しに行きました。

姫川上流の山に翡翠の結晶ができたのは、今から5億年前のカンブリア紀。
海底プレートが沈み込んだ地下数10キロの場所で、高い圧力におよそ500度の熱、それに加えてナトリウムやアルミニウム、ケイ素、酸素などが結合して生まれます。

それが隆起して地上に現れた小滝川ヒスイ峡と青海川ヒスイ峡は、天然記念物指定地域となっているため岩石の持ち出しは一切禁止されていますが、指定地域外の姫川河口やヒスイ海岸での拾得は大目に見られています。

翡翠は、今から5,000年前の縄文時代から大珠や勾玉などに使われるほど日本人にとってはなじみ深い宝石ですが、3,500年もの間ブームが続いた後になぜか忽然と歴史の表舞台から姿を消してしまいます。
そんな謎の多いところも翡翠の魅力のひとつ。

2016年には日本鉱物科学会により「国石」に選定されました。

翡翠というと私たちはすぐにみどり色の石を思い浮かべてしまいますが実は様々な色があるそうです。
純度が高い石は白。
そこに鉄が僅かに入るとみどり色。
チタンが入ると薄紫に。
さらには、鉄とチタンの両方が入ると碧い色になるそうです。
翡翠といっても色々あるのですね。

さて、若松たちが浜辺に着くと、翡翠採りができるという友人の父親が、翡翠だと思う石を各自探してくるようにと言いました。
数日前に激しい雨が降ったおかげでしょうか、みどり色を含んだイメージ通りの石がいくつも見つかります。
次々と上がる歓声。

やがて、袋いっぱいに宝物を詰め込んだ子どもたちが集まり、その父親による鑑定タイムが始まります。
すべての石を手に取り、「違う、違う」と判別を進めていくと、驚いたことにあれほどたくさんあった候補の中に、本物の翡翠は一つもありませんでした。
彼は、おもむろにポケットから石を取り出すと、これが本物の翡翠だと教えます。
しかし、見た目には何の変哲もないただの白い石。

なんでも、白色の層の奥に翡翠が存在しているのだそうです。

なんと、翡翠を求めてみどり色の石を探しても、それは翡翠ではないのです。
では、どうやって探すのかというと、わずかに入った碧い線が目印になるのだと言います。
言われてみれば、確かに一筋の碧い線がわずかに見えることは見えるのですが、歩きながらそのような線の入った石を見つけるのはほとんど不可能なこと。

以来、若松は翡翠探しをやめてしまいますが、この日のことは時々思い出すと言います。
なぜなら、私たちは何かを探す時、勝手に頭の中で作り上げたイメージを固定化してしまい、その思い込みのままに探し回っていることが少なくないからです。
さらに言うなら、自分が本当に必要としているものが何なのかよくわからずに、とりあえず探し始めてしまうことだってあります。

みどり色の石は翡翠ではありません。
一筋のわずかに碧い線が入った白い石こそが、探し求めているものなのです。
こんな間違いは、人生にはよくあること。

人生は翡翠探しに似ているのかもしれませんね。
でも、懸命に歩き回っても、一筋の碧い線を見つけることが不可能だとするならば、私たちは一体どうしたらいいのでしょう。
若松は『言葉の贈り物』の中で、こんなことも言っています。

花や果実は、私たちに喜びを与えてくれます。
時に私たちは、花や果実を手に入れようと躍起になります。
そして、花を手にしている人を羨んだり、自分の手に果実がないことを嘆いたりもします。

でも、たとえ花や果実が手の届かない場所にあったとしても、根はいつも私たちの足元にあります。
地中深くにまで伸びた根がなかったら、花も果実も存在することができないのです。
だから、手の届かない場所にある花や果実が欲しければ、足元の地面を掘ってその植物の根を手に入れることです。
時間はかかりますが、根から育てることです。

おそらく翡翠もそうです。
あなたが、「自分らしく」ありたいと願うのならば、「自分探し」の旅に出るよりも、まずはあなた自身の足元を掘ってみることです。
きっと、あなたの中に、あなただけの翡翠が根を張っているはずです。

高いところにある華やかな花弁や、豊かな果実を追い求めても無駄です。
思考のベクトルを、あなたの内面深くに向けてみてください。
ほら、一筋の碧い線が見えてきませんか。

初めての方へ研修を探す講師紹介よくある質問会社案内お知らせお問い合わせサイトのご利用について個人情報保護方針

© FiveStars Academy Co., Ltd. All right reserved.