株式会社ファイブスターズ アカデミー
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書店に行くと、定年後の過ごし方についての指南書が棚から溢れています。
有り余る時間をどう過ごすべきか、どのような趣味を持つべきか、マネープランは大丈夫か。
中には、定年後でもこんな“リア充”の人達がいますよと、ご丁寧に数多くの事例を紹介しているものまであります。
仕事の関係上、有名なビジネスパーソンの著作も含めて片っ端から読んではみたものの、なぜか納得できるものがひとつもありません。
そもそも、定年前のプライベートがそうであったように、定年後の過ごし方だって人それぞれのはず。
それなのに、「ああしなさい」とか、「こうした方がいいですよ」と、いちいち指図されるなんて、余計なお世話というものではないでしょうか。
でも、中には強い衝撃を受けた本もあります。
吉武輝子の『夫と妻の定年人生学』です。
吉武の父親の源雄は明治生まれ。
定年を迎えたのは、昭和の中頃のことでした。
この時代の常識である「男=職業人」という方程式に則って、家庭は全て妻任せ。
勤務先の三菱銀行の仕事に全力を注ぎ、トントン拍子の出世を果たします。
でも、娘の輝子はその様子を冷静に分析していました。
「吉武源雄」という丸裸の個人は非力なのに、名前の上に組織の“の”という字がつくと、なぜか個人の能力を遥かに凌駕するパワーが与えられる。
とりわけ、その組織がお金を貸す「銀行」ともなると、そのパワーは計り知れないほど強大なものとなる。
やがて「銀行」だけでなく、「支店長」の肩書きまで名刺に印刷されるようになると、本人にはもう個人の能力と、組織と肩書きの2つの“の”の威力とを判別することはできなくなっていました。
人々が源雄に深々と頭を下げ、時には土下座までしたのは個人としての源雄にではなく、2つの“の”に対してのことでしたが、偉くなればなるほど現役中にそれに気づくのは容易なことではありません。
ところが、いつの間にか派閥争いに巻き込まれ、中枢から外されてしまった源雄は、55歳の定年を迎えると同時に有名な大手陶業メーカーに役員として天下りを命じられます。
傍目には、申し分ない第2の人生のスタートに見えましたが、本人はそうは思いませんでした。
まずショックを受けたのが、支店長の頃は4畳半の納戸に入りきらないほど贈られてきた盆暮れの付け届けの品物が、限りなくゼロに近づいたことでした。
次に年賀状です。
これも見る影もないほど激減しました。
源雄は、定年になってはじめて、“の”の字の威力が取り払われた丸裸の自分がいかに無力で空っぽな存在か、嫌と言うほど思い知らされたのです。
自分にはもう何の価値もないと落胆した源雄は、それまで「誰が食わせてやってきたと思ってるんだ!」と暴言を吐いていた妻の顔を見る事さえできなくなります。
会社に行くこともできず、昼間からカーテンを引いた薄暗い自室の片隅で、一日中背中を丸めて膝を抱えたまま蹲って過ごす日々。
見かねた家族に連れて行かれた病院で、精神科医から「サラリーマンの定年後にありがちな典型的なうつ病」と言い渡されます。
そして、定年の日から8カ月後、出刃包丁で自らの頸動脈を切り人生の幕を降ろしてしまったのでした。
今では定年後のイメージもずいぶん前向きなものに変わりましたが、なにせ当時は昭和の真っただ中。
仕事一筋、会社一筋で生きてきた男のなんと多かったことか。
父の死後、輝子は形見として源雄の日記を手に入れます。
恐る恐る読んでみると、そこには意外なことが書かれていました。
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