株式会社ファイブスターズ アカデミー
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サミュエル・ウィルバーフォース主教が長い演説の締めくくりに、討論相手に対する決定的な質問を発したとたん、会場は爆笑と拍手喝采に包まれました。
と同時に、熱心なキリスト教信者たちは、忌々しい進化論者に対して完全に勝利したことを確信したのです。
時は1860年6月30日。
チャールズ・ダーウィンの『種の起源』が刊行された翌年のことです。
人間はサルから進化したというダーウィンの主張は、キリスト教信者たちにとって、絶対に認めることのできない「邪教」そのものでした。
この日、オックスフォードの博物館で行われた、イギリス科学振興協会主催の会合は異常なまでの人気を呼び、詰めかけたキリスト教信奉者の数およそ700。
彼らが期待に胸を膨らませていたのには理由があります。
当代きっての論客である、国教会のサミュエル・ウィルバーフォース主教が満を持して登場するからです。
そして、満員の聴衆が見守る中、演説の最後に主教は、相手の論客に失礼極まりない質問を放ったのです。
「あなたのご先祖はサルだということですが、それはおじいさんの側ですか、それともおばあさんの側ですか」
聴衆の興奮は頂点に達します。
主教は遂に、忌々しい進化論に鉄槌を下したのです。
現代ならば嘲笑の対象とされるのは主教の方ですが、当時はかなり事情が違っていました。
地動説を唱えたガリレオが、キリスト教徒からの迫害を恐れ、極めて回りくどい説明を余儀なくされていた頃からそう遠くない時代の話です。
ダーウィンもキリスト教の恐怖は十分承知していました。
そこで、この問題作の巻頭に「自然現象は神の設定した法則によるものである」と記述するなど、念入りにリスク回避の論理を張り巡らせてはいたのです。
しかし、彼らの「邪教」を嗅ぎつける能力は予想を遥かに超えていました。
一方、対峙する進化論側の代表として演壇に立ったのは、ダーウィンではありません。
ダーウィンは、ビーグル号の航海以後精神に問題を抱えるようになり、人前に出ることはほとんどなくなっていました。
代役を勤めたのは、若い頃は外科医としてダーウィン同様軍艦に乗って航海し、海の無脊椎動物の研究をしていたというトマス・ヘンリー・ハクスリー。
気鋭の研究者ではありますが、知名度ではサミュエル・ウィルバーフォース主教に遠く及びません。
進化論側の不利は、誰の目にも明らかでした。
そのハクスリーですが、主教の演説が終わったにも関わらず、なぜか椅子に座ったまま立ち上がる気配がありません。
彼は待っていたのです。
この馬鹿げた喧騒が収まるのを。
会場がようやく静けさを取り戻したことを確かめると、ゆっくりと立ち上がり、次に会場をぐるりと見回します。
それからおもむろに、落ち着いた口調で進化論の正当性を説き始めました。
しかも彼は、肝心なことを忘れていませんでした。
演説の最後を、主教と同様に強烈な一撃で締めくくることを。
「私はサルが先祖だからと言って恥ずかしいとは思いません。それよりも豊かな能力を駆使して詭弁をふるう人物を先祖にもつ方がよほど恥ずかしいと思います」
ハクスリーが毅然とした口調で言い終えた瞬間、今度は怒号と悲鳴が会場中に響き渡ります。
こともあろうに一介の学者風情が、強大な権力を誇るキリスト教界の、その権威の象徴たる主教をコケにしたのです。
これが、世に言う「オックスフォードの論争」です。
生物学史上後々まで語り継がれることになるこの会合以来、ハクスリーは「ダーウィンのブルドッグ」という異名をとるようになります。
ハクスリーは、『種の起源』を読み終わった時、この本がキリスト教界から激しい弾圧を受けることを予感しました。
早速彼はペンをとり、ダーウィンに宛てて手紙をしたためます。
「吠えかかる犬に対して、あなたに代わって立ち向かおうとしている、喧嘩好きの友人がいることを覚えておいて下さい。私は、爪と牙を研いで待ち構えています」
キリスト教の圧倒的な権力に対して、一切の武器を持たず己の論理と弁論の力だけで立ち向かった男、トマス・ヘンリー・ハクスリー。
もし、この狂暴な番犬がいなかったら、ダーウィンの進化論は宗教の闇の中に葬り去られていたかもしれません。
科学技術が進化を遂げる前の時代だからしょうがない、と片付ける訳にはいきません。
なぜなら、これは今からたった160年前の出来事だからです。
この年、日本では桜田門外の変が起きています。
明治の幕開けはその8年後。
この頃の日本では、人類の祖先は何かなどという疑問さえ生まれていなかったのです。
世界は、私たちの知らないことで満ち溢れています。
今日は常識とされていることも、明日には人々の物笑いのタネになるかもしれません。
淀みない川の流れのように、絶え間なく変化する日々の中で、私たちの価値観もまた目まぐるしく移ろいます。
私たちは、その混沌の激流に翻弄されるしかない存在なのです。
そんな私たちに必要なのは、常識をあっさり捨て去るだけの柔軟な思考と、どんな困難が待ち受けていようとも、信じたことを正々堂々と主張するだけの「勇気」ではないでしょうか。
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