株式会社ファイブスターズ アカデミー
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日経新聞の『私の履歴書』は、つまらないと思うのです。
特にビジネスパーソンが執筆する月は、結局のところ如何にして大会社のトップに上り詰めたか、という自慢話のオンパレード。
たまに描かれる失敗談もあまりにレベルが高すぎて、私たち凡人が共感できるものはほとんどありません。
しかも、自分で書いた「出世物語」ですから、どこまで本当の話かもわかったものではありません。
歴史書だって、すべて戦いに勝った側が綴った物語なので、都合のいいように脚色されているのは周知の事実。
恥ずかしい話でも赤裸々に告白していたのは、ニトリの社長くらいでしょうか。
日経新聞は経済界の太鼓持ちみたいな存在ですから、やむを得ない部分は確かにありますが、2008年に『私の課長時代』という連載を試みたことがあります。
大企業のトップが、課長時代にやらかした失敗談を取材して、記事にしてしまおうという企画です。
そんな取材に応じるトップがいるのかと思いきや、次々と面白い話が披露されて大人気を博しました。
後に40人の失敗談が一冊にまとめられ、『それでも社長になりました』という文庫本になっただけでなく、続編も企画されました。
その失敗の武勇伝の中から、一部ご紹介しましょう。
ある商社のトップは、人事課長時代に役員や取引先からの紹介による採用、いわゆる「縁故採用」を原則廃止するという方針を打ち出しました。
しかし当時は、「ウチの娘を採用してくれればこれだけ取引を増やしてやる」といった慣行が当たり前の時代。
英断を下した背景には、一般応募の学生と横並びで試験を受けさせると、歴然とした差がついてしまうという事情がありました。
もちろん、血相を変えて怒鳴り込んでくる役員もいましたが、現場の判断でやっていることなので、わざわざ社長にまでは報告していませんでした。
ところが、秘書部経由で社長からの紹介状が10数名分舞い込みます。
この人事課長は毅然とした態度で、その全員を落としてしまいます。
腹の虫がおさまらない社長は、会議の席で「君らの採用方針はおかしい」と課長に噛みつきます。
負けじと「縁故学生はレベルが低いのです」と反論したら、「君は何様のつもりだ!」と大激怒。
慌てて周りが止めに入りましたが、この時激怒した社長はただ者ではありません。
なにせ、後に日銀総裁になった人物ですから・・・。
逆の見方をすれば、その程度の人間が日銀総裁をやっていたということでもあります。
意外なことに、その日銀にも“侍”はいました。
消費者金融の多重債務が社会問題になった頃、日銀の職員の中にもローンでクビが回らなくなったり、自殺する者が現れました。
担当の常務理事から呼び出された総務課長は、部屋に入るなり「なぜ不祥事が止まらないんだ。なんとかしろ!」と怒鳴りつけられます。
課長が「起こってしまうものはどうしようもありません」と答えると、頭に血が上った常務理事は「じゃあ、お前の仕事は一体何だ?」と物凄い形相で睨みつけます。
その時、総務課長が返した言葉が凄い。
「あなたに『どうしようもない』と伝えるのが仕事だ」
この課長は、後に某コンビニが銀行業務に進出する際、トップとしてヘッドハンティングされました。
怒鳴りつければ部下が何とかするだろうというのは、まさに“昭和のマネジメント”。
でも、上司から怒鳴られようが脅されようが、自分の出世を一顧だにせず、信念を貫き通した課長たちがこの時代にはいたのです。
一方で、忘れてならないのは、こんな“侍”をキチンと観てくれている上司がいたという事実です。
しかし、“侍”がよき理解者に出会うまでは時間がかかるもの。
そのため、上司の顔色ばかり窺っている「風見鶏」に比べると、どうしても出世のスピードは遅れがちです。
次回は、出世レースで大きく遅れをとったのに、最後はちゃんと社長に上り詰めたサラリーマンの話です。
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