株式会社ファイブスターズ アカデミー
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私には、「働かざる者、食うべからず」という考え方の背景に、日本特有の「平等意識」が存在しているように思えてなりません。
「平等意識」というのは、先ほどの「国民全員が額に汗して平等に働いて、その結果平等な賃金を手にする」という考え方です。
裏を返せば、「人並みに働かない者は、人並みの対価を貰う資格がない」と言うことです。
このような考え方は、一体どこから生まれたのでしょうか?
これも私見ですが、日本人が「農耕民族」だったことと関係があるのではないでしょうか。
ここで、「狩猟民族」と「農耕民族」の「平等意識」の違いについて考察してみますね。
「狩猟民族」であっても、集団の中で狩りに参加できるのは青年と壮年の男性だけです。
女性や子どもは参加できません。
そして、狩りの際に中心となって活躍するのは、一部の勇敢な若者たちです。
もちろん、年長者も知恵を提供したりして狩りに貢献するのでしょうが、なんといっても最後は体力がモノをいいます。
このことから、狩猟民族の労働が平等ではないことがわかります。
ところが、狩りの成果物は集団の中でどのように分配されるかというと、これがほぼ平等に分配されるのです。
獲物を仕留めた最大の功労者たちには、体力をつけて次回も頑張ってもらわなければならないので、やや多めに肉が分配されたり、最もおいしい部位を食べる権利が与えられるといった多少の優遇措置はあったでしょう。
しかし、狩りに参加しなかった集団内の女性や子供にも、成果物はキチンと分配されました。
その背景には、参加者だけで狩りの成果物を消費するにはあまりに量が多すぎることや、長期保存の方法がわからなかったという事情もあったとは思います。
しかし、それ以上に「狩りに参加しない人たちも集団の大切な構成員である」という考えが浸透していたのではないかと思われるのです。
これが、「富める者(獲物を仕留めた者)は、貧しき者(狩りに参加しなかった者)にもその富を分け与えるべし」という「社会扶助」の思想に繋がったのではないでしょうか。
一方、「農耕民族」の場合はどうでしょう。
穀物の収穫作業には、基本的に集団の構成員全員が参加します。
これが「平等意識」の基礎となって、「勤労義務」という思想に繋がったであろうことは想像に難くありません。
また、子供や障がいを持った人たちも、各人ができる範囲で収穫の手伝いをしていたと考えられます。
これが、日本人の「道徳」に繋がっていったのではないでしょうか。
集団において、もしも収穫作業に全く参加しようとしない不届き者がいたりすると、その者は「食うべからず存在」とラベリングされ、その結果野垂れ死にして集団の構成員でなくなったとしても、それは自業自得であると判断されたのです。
いかがですか?
「勤労義務」という思想が、「狩猟民族」よりも「農耕民族」の方に根付きやすかったという説は、結構説得力があると思いませんか。
しかも収穫作業というのは、それぞれの作業の負荷に多少の濃淡があったにせよ、基本的には全員参加が可能な労働ですので、失業という概念自体が存在しません。
従って、「社会扶助」という考え方など生まれようもありません。
これは、名付けるならば「農耕民族型社会主義」。
ただこの思想には、ある条件が必要であると思われます。
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