株式会社ファイブスターズ アカデミー
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弱冠22才のピアニストが、ブルーノートから『テイキン・オフ』という初のリーダーアルバムをリリースしました。
男の名はハービー・ハンコック。
あの名曲『ウォーターメロン・マン』の登場です。
子供の頃耳にしたスイカ売りの声をモチーフにしたという、ファンキーな香り漂うゴキゲンなメロディーは、黒人たちの心の奥深くに刻まれた甘美な記憶を激しく揺さぶりました。
世紀の大ヒットの陰には、甘味に纏わる人種差別という黒歴史があったわけです。
ところでこのスイカ売り、意外なことに日本史の重大な事件の一場面にも登場しています。
生麦事件でイギリス人商人を切り殺してしまった薩摩藩に対して、犯人の引き渡しと遺族への慰謝料の支払いを要求し、7隻からなるイギリス艦隊が鹿児島湾に入港します。
一触即発の緊張感が高まる中、どこからともなく長閑なスイカ売りの声が聞こえてくるではありませんか。
薩摩藩の間諜がスイカ売りに扮して船に接近し、あわよくば船内に乗り込んでイギリス兵を制圧しようと目論んでのことでした。
しかしイギリスでは、スイカはかつての砂糖同様とても高価な果物だったため、上流階級にしか馴染みがありませんでした。
『ウォーターメロン・マン』を聴きながら、はたしてどんな売り声だったのだろうかと、あれこれ思いを巡らしてみるのもまた一興。
でも、後のV.S.O.P.でも明らかなように、ハービー・ハンコックはメインストリーム・ジャズに強い拘りを持つミュージシャンのはず。
その男が、なぜこんな大向こう受けを狙った曲を作ったのでしょうか。
『テイキン・オフ』をよく聴くと、『ウォーターメロン・マン』以外の収録曲は、ゴリゴリのハード・バップばかりです。
ここに、ハービー・ハンコックと、ブルーノートを一代でジャズの名ブランドに仕立て上げた稀代のプロデューサー、アルフレッド・ライオンのしたたかな戦略性を感じてしまうのは私だけでしょうか。
ジャズ・ミュージシャンにとって、裕福な白人たちはレコードを買ってくれる上得意でした。
そのため、当時は人種差別に対してストレートに抗議することはタブーに近いことだったのです。
白人に私刑(リンチ)され、ポプラの木に吊るされた黒人の死体を歌ったビリー・ホリデイの『ストレンジ・フルーツ』や、非暴力の公民権運動をアシストしたアート・ブレイキーのアルバム『フリーダム・ライド』などは例外中の例外。
でも、最も「人種差別反対」の旗色を鮮明にしたミュージシャンは、マックス・ローチ(ドラムス)ではないでしょうか。
1960年にリリースした『ウィ・インシスト』のジャケット写真は、こちらを振り向いた3人の黒人客のカウンター越しに白人のウェイターが控えている構図。
当時、白人が黒人に給仕するなど考えられないことです。
このジャケットだけで彼らのインシスト(主張)は一目瞭然。
しかも、公民権運動に関わっていた詩人オスカー・ブラウンJrが書いた詩を、後にローチの妻となるアビー・リンカーンが歌い上げるのですが、彼女の芸名はエイブラハム・リンカーンにあやかってつけたという筋金入りの強者。
さらに1曲目は『ティアーズ・フォー・ヨハネスブルグ』ですが、ヨハネスブルグは、長年アパルトヘイトを続けた南アフリカ共和国の首都です。
よくもまぁこんな問題作が、あの時代に発売できたものです。
これもひとえに、白人にしては珍しく人種差別に批判的だったナット・ヘントフが監修を勤めていた、「キャンディド」レーベルだからこそできたこと。
もう少し控え目なプロテストものを探しても、数はそれほど多くありません。
1957年、白人と黒人が同じ学校に通うという融合教育化に反旗を翻した白人たちが、アーカンソー州のリトルロック・セントラル高校を封鎖してしまった「リトルロック高校事件」。
これを揶揄してチャールズ・ミンガスが作った曲が、『フォーバス知事の寓話』。
1963年、アラバマ州の教会に仕掛けられた20本のダイナマイトにより、4人の黒人少女の命が奪われた「16番通りバプティスト教会爆破事件」に心を痛めたジョン・コルトレーンが、『ライブ・アット・バードランド』に吹き込んだもの哀しいバラードは『アラバマ』。
コルトレーンには、他にも『ダカール』や『バカイ』といったメッセージ性の強い題名の曲がありますが、彼の人種差別に対するレジスタンスの話はまたの機会に譲ることにしましょう。
これらの底流に共通するドス黒い怨念に比べると、「スイカ」という差別用語を一瞬でハッピーなワードに変えてしまったハービー・ハンコックは、偉大なマジシャンと言っていいかもしれません。
長い黒歴史を持つ人種差別ですが、いつかきっと私たちの努力で、差別のない世界を実現することができるはずです。
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