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5☆s 講師ブログ

老害ニュートン(2)

ニュートンとフックの遺恨試合の第2ラウンドは、悪意に満ちたフックの言いがかりから始まります。

惑星の円運動について、意地悪な質問をしつこく吹っ掛けたのです。
随分と粘着質な性格ですよね。

このとき、まだ発表はしていないとは言え、すでに「引力の逆2乗法則」を完成させていたニュートンは、フックよりはるかに先を行く答えを知っていました。

しかし、法則が未発表だったためやむなく逃げを打ちます。

実験から遠ざかっていることを言い訳にして、「質問には答えられない」とかわそうとしたのです。

でも、さすがにそれだけではまずいと思ったのか、ある思考実験を提案します。
それは、「もし物体が地球の中を中心に向かって落下するとしたら、つまり空中と同様に地中でもその物体が中心に向かって進んでいくとしたら、どのような軌跡を描くだろうか」という問いでした。

これが墓穴を掘ります。

フックもすでに、「引力の逆2乗法則」には気づいていました。
ですので、落下する物体と地球の距離が縮まっているにも関わらず、引力を一定と仮定したのはニュートンの明らかなミスであると指摘したのです。

このことからも、引力に関するニュートンの大発見については、うすうすではありますが、当時の多くの科学者が気づいていたことがわかります。

2連敗を喫したニュートンに、フックは更なる追い打ちをかけます。
いよいよ『プリンキピア』が出版の運びとなり、ニュートンが晴れてこの「引力の逆2乗法則」を世に送り出そうとしたまさにその時、
フックが「この法則はニュートンが私から盗んだものである」と主張し始めたのです。

18年前かどうかは定かでないにしても、ニュートンがかなり前からこの法則を発見していたことはフックも十分承知していたはず。

明らかにフックの嫌がらせです。

すべては、ニュートンがこの法則を発見した後もずっと発表しなかったことに起因するトラブルですが、フックの主張はニュートンの怒りに火をつけてしまいます。

そしてそれは、特大の花火の導火線でもありました。

ニュートンは急遽『プリンキピア』の原稿を書き直し、いくつか引用していたフックの名前をすべて消し去ります。
徹底抗戦に打って出たのです。

怨恨の花火はますます激しく燃え盛ります。
ニュートンは、フックが亡くなるや否や王立協会の会長に就任すると、恨み骨髄のフックの実験器具を協会からすべて捨て去り肖像画さえも外してしまうという暴挙に出ます。
こうなるともう手がつけられません。

しかし、50歳を過ぎてうつ病の症状がますます顕著になり、ケンブリッジの生活に飽き飽きし始めたニュートンに気分転換のチャンスが訪れます。

心を許す友はいなくても、ご機嫌取りは大勢いたので、めでたくロンドンの造幣局長官に就任することができました。

当時は贋金づくりが大流行していたのですが、これは希代の偏執狂にとって格好のネタとなりました。

贋金づくりの犯人の摘発に夢中になった挙げ句、異常とも言える執念深さで片っ端から極刑に処していったのです。
まるで、麻薬犯を憎むどこかの国の大統領みたいですよね。

ロバート・フック、そして贋金づくりの犯人と、次々に攻撃目標を変えてきた偏執狂の前に、いよいよ最後の敵が現れます。

ドイツの数学者ゴットフリート・ライプニッツです。

1675年、ライプニッツは「微分積分法」を発表します。
現在も使われているdx、dy、∫ などの記号は、すべてこのときのライプニッツの論文によるものです。

「微分積分法」に関しては、それより遡ること10年前にニュートンが見つけていたとは言え、なにせ例によってまたも未発表。
現在では、発見発明の先取権は最初に発表した者に与えられることになっていますが、この頃はそんなルールは存在していませんでした。

しかし、二人はお互いに尊敬しあう仲だったため、最初のうちはニュートンもそれほど気にかけていなかったようです。
ところが、悪いことに取り巻き連中がけしかけます。

いつの時代も、取り巻き連中という「茶坊主」たちがトラブルの原因を作るものです。

ご丁寧にも、ライプニッツがニュートンのアイデアを盗んだのだとご注進に及び、ついに偏執狂はすっかりその考えに取り込まれてしまいます。
その後の不毛な論争は、イギリスとヨーロッパ各国の学者を巻き込み、壮絶な泥仕合を呈することとなります。

長く王立協会の会長に君臨したニュートンは、85才で亡くなる寸前までライプニッツを罵り続けますが、彼のご機嫌を窺うことに汲々とする科学者たちが後を絶たなかったため、イギリスの科学は他のヨーロッパの国々に大きく遅れを取ってしまいます。

私財を投じて『プリンキピア』を出版してくれた大恩人のハレーでさえも、天文台長としての些細なミスを激しく叱責される頃には、もはやニュートンは「老害」以外の何者でもなくなっていました。

振り返ってみると、ニュートンの人生は26歳で終わっていた方がよかったのかもしれません。

そうすれば、人々の尊敬を一身に集めることができたでしょう。
その後の長い長い余生が、イギリスの科学界にとって大きなマイナスだったことは誰の目にも明らかです。

でもこの構図って、現代の会社組織にも当てはまりそうですよね。

ニュートンほどの大偉業ではないにしても、一時期の目覚ましい実績が高く評価されて出世の階段を一気に駆け上がり、その後も高いポジションに長く留まり続けるサラリーマンがいます。

問題はそこなのです。

個人プレーヤーとして実績を上げたことは立派ですが、そのこととその人が組織内で一定の権限を持つ地位に就くに値する人物か否かは、本来別の話のはず。

ニュートンの時代から300年以上も経っているのに、取り巻き連中のことも含めて、未だに同じ過ちを繰り返している会社があるかと思うと、物理学の進歩に比べて人間の組織というのは相当歩みの遅いものに思えてなりません。

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