株式会社ファイブスターズ アカデミー
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ニュートンとフックの遺恨試合の第2ラウンドは、悪意に満ちたフックの言いがかりから始まります。
このとき、まだ発表はしていないとは言え、すでに「引力の逆2乗法則」を完成させていたニュートンは、フックよりはるかに先を行く答えを知っていました。
実験から遠ざかっていることを言い訳にして、「質問には答えられない」とかわそうとしたのです。
これが墓穴を掘ります。
このことからも、引力に関するニュートンの大発見については、うすうすではありますが、当時の多くの科学者が気づいていたことがわかります。
2連敗を喫したニュートンに、フックは更なる追い打ちをかけます。
いよいよ『プリンキピア』が出版の運びとなり、ニュートンが晴れてこの「引力の逆2乗法則」を世に送り出そうとしたまさにその時、
フックが「この法則はニュートンが私から盗んだものである」と主張し始めたのです。
18年前かどうかは定かでないにしても、ニュートンがかなり前からこの法則を発見していたことはフックも十分承知していたはず。
すべては、ニュートンがこの法則を発見した後もずっと発表しなかったことに起因するトラブルですが、フックの主張はニュートンの怒りに火をつけてしまいます。
ニュートンは急遽『プリンキピア』の原稿を書き直し、いくつか引用していたフックの名前をすべて消し去ります。
徹底抗戦に打って出たのです。
怨恨の花火はますます激しく燃え盛ります。
ニュートンは、フックが亡くなるや否や王立協会の会長に就任すると、恨み骨髄のフックの実験器具を協会からすべて捨て去り肖像画さえも外してしまうという暴挙に出ます。
こうなるともう手がつけられません。
しかし、50歳を過ぎてうつ病の症状がますます顕著になり、ケンブリッジの生活に飽き飽きし始めたニュートンに気分転換のチャンスが訪れます。
当時は贋金づくりが大流行していたのですが、これは希代の偏執狂にとって格好のネタとなりました。
ロバート・フック、そして贋金づくりの犯人と、次々に攻撃目標を変えてきた偏執狂の前に、いよいよ最後の敵が現れます。
1675年、ライプニッツは「微分積分法」を発表します。
現在も使われているdx、dy、∫ などの記号は、すべてこのときのライプニッツの論文によるものです。
「微分積分法」に関しては、それより遡ること10年前にニュートンが見つけていたとは言え、なにせ例によってまたも未発表。
現在では、発見発明の先取権は最初に発表した者に与えられることになっていますが、この頃はそんなルールは存在していませんでした。
しかし、二人はお互いに尊敬しあう仲だったため、最初のうちはニュートンもそれほど気にかけていなかったようです。
ところが、悪いことに取り巻き連中がけしかけます。
ご丁寧にも、ライプニッツがニュートンのアイデアを盗んだのだとご注進に及び、ついに偏執狂はすっかりその考えに取り込まれてしまいます。
その後の不毛な論争は、イギリスとヨーロッパ各国の学者を巻き込み、壮絶な泥仕合を呈することとなります。
長く王立協会の会長に君臨したニュートンは、85才で亡くなる寸前までライプニッツを罵り続けますが、彼のご機嫌を窺うことに汲々とする科学者たちが後を絶たなかったため、イギリスの科学は他のヨーロッパの国々に大きく遅れを取ってしまいます。
私財を投じて『プリンキピア』を出版してくれた大恩人のハレーでさえも、天文台長としての些細なミスを激しく叱責される頃には、もはやニュートンは「老害」以外の何者でもなくなっていました。
振り返ってみると、ニュートンの人生は26歳で終わっていた方がよかったのかもしれません。
でもこの構図って、現代の会社組織にも当てはまりそうですよね。
問題はそこなのです。
ニュートンの時代から300年以上も経っているのに、取り巻き連中のことも含めて、未だに同じ過ちを繰り返している会社があるかと思うと、物理学の進歩に比べて人間の組織というのは相当歩みの遅いものに思えてなりません。
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