株式会社ファイブスターズ アカデミー
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望遠鏡の魔力に取り憑かれてからというもの、ガリレオは庇護者である権力者に一層媚びるようになります。
木星の衛星を発見した時に、真っ先にメディチ家にそれを知らせただけでなく、その星を「メディチ家の星」と命名するほどゴマを擦っていたのはこの布石でした。
それでも、ガリレオはまだ満足できません。
ガリレオは、天体観察で得た結果をローマの学者たちに伝えようと考えました。
1611年、ローマ学院での講演は大成功を収めました。
そして、5名のローマ貴族院からなる名誉あるアカデミーの6人目の会員に選ばれます。
ところが、ここに思わぬ落とし穴がありました。
講演から4年後、嫉妬する学者たちの陰謀が実を結び、ガリレオはローマに呼び出され審問を受けます。
この本は三人の人物による対話形式で書かれているのですが、カトリックの立場を代表する人物が他の二人によって嘲笑されるくだりがローマ教皇の逆鱗に触れます。
不幸なことに、この頃になると頼みの綱のトスカナ大公国の勢力は大きく衰退していました。
しかし、有力者達による懸命な助命嘆願と、自説を完全に放棄して二度と邪説を口にしないと、ガリレオがなりふり構わず神に誓ったことで奇跡が起きます。
こんな時、プライドを持たない風見鶏は有利です。
ところが、罪人の汚名を着せられたガリレオに、さらなる不幸が追い討ちをかけます。
ここに至り、失うものがなくなったガリレオは突如豹変します。
ガリレオはこの時、すでに齢70を超えていました。
不朽の名著『新科学対話』は、ローマ教皇の怒りを恐れるあまり、ドイツでもイタリアでも出版されませんでしたが、1638年にようやく新教国オランダで日の目を見ます。
それでも、ガリレオは満足だったのではないでしょうか。
振り返ってみると、天文学の分野におけるガリレオの観察結果というのは、概して凡庸なものばかりと言わざるを得ません。
ただ、「落体の法則」だけは違います。
今も燦然と輝く金字塔として、科学史に刻まれています。
もし、ガリレオが「落体の法則」を発表していなかったら、後世の彼の評価は一体どうなっていたでしょう。
その後、ローマ教皇パウロ2世がガリレオ裁判の誤りを認めたのは、彼の死から350年後の1992年。
裏を返せば、ヴァチカン内では21世紀を迎える直前まで、天動説が大手を振ってまかり通っていたということになります。
しかもこの時、地動説とともにローマ教皇に認められたのは、なんとダーウィンの進化論。
ということは、この時まで人類の始まりは天地創造の神が土から創ったアダムであると信じられていたわけです。
私はそこに、宗教というものが持つ底知れぬ不気味さを感じてしまうのです。
ガリレオが自分の信念を捨てるほど恐れていたのは同業者の嫉妬などではなく、やっぱりこれだったのかもしれません。
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