トーマス・エジソンと言えば、白熱電球や蓄音機を発明した有名な発明王。
また、「天才は99%の汗と1%のインスピレーションに他ならない」の名言で知られる努力の人でもありました。
しかし、実業家としてのエジソンの実像は全く違っていました。
競争相手に打ち勝つために、夥しい数の犬や猫を殺戮した「殺人鬼」ならぬ「殺犬鬼」・「殺猫鬼」だったのです。
電球の発明で十分な富と名声を得たエジソンは、次に電気を普及させるために発電事業に挑みますが、これを契機に「電流戦争」が勃発します。
「直流」と「交流」の戦いです。
最初は、エジソンの提唱する「直流」が圧倒的に優勢でした。
直流はプラスとマイナスが固定されているため、電気の流れる方向が常に一定です。
ですので、モーターなどは実に簡単な構造で作ることができます。
一方「交流」の方は、プラスとマイナスが交互に切り替わるため、モーターの作りようがなかったのです。
この難題に答えを出したのがクロアチア生まれのセビリア人、ニコラ・テスラ。
テスラは一枚の設計図も描くことなく、交流用のモーターを作り上げてしまいます。
しかもそれは、5年前のある日ブダペストの市立公園を散歩しているときに突然閃いたアイデアを、拾った小枝で泥の小道に描きつけたイメージ図を思い出しながらのことでした。
この正真正銘の“天才”は、幼い頃から幻覚に悩まされていました。
ある物について考えると、その物体が確かな質感と量感を伴って目の前に出現するというのです。
やがて学校に通うようになると、もっと奇妙なことが起こります。
数学の問題が出題された瞬間に、頭の中の黒板に計算式と記号が浮かび上がり自動的に答えを導いてしまうのです。
“天才”の目には、99%も汗を流す発明家など、ただの凡才としてしか映っていなかったようです。
後にテスラは、エジソンをこう評しています。
「エジソンが干し草の山から針を見つけようとしたら、ただちに蜂の勤勉さをもってワラを一本一本調べ始め、針を見つけるまでやめないだろう。
私は理論と計算でその労力を90%節約できるはずだとわかっている悲しい目撃者だった」
テスラがなぜ「目撃者」という表現を使ったかについては、後で解説しますね。
テスラが交流モーターを発明したことと、彼のスポンサーにウェスティングハウスという大金持ちの発明家の会社がついたことにより、電流戦争の形勢は一気に逆転します。
なぜなら、直流は致命的な欠点を抱えていたからです。
それは送電ロスです。
直流の場合、送電の際に電線からかなりの電力が失われてしまうため、送電可能な距離はわずか2~3キロしかありません。
つまり、街中に発電所を建設しなければならないだけでなく、人口密集地以外では採算が取れないため発電所は建設できないのです。
ですので、送電ロスのきわめて少ない交流の方が絶対にいいのです。
しかし、莫大な資金を投じて、すでに50以上の直流発電所を建設してしまっていたエジソンは引くに引けません。
それよりなにより、エジソンは自分の発明した直流用の電球を、大量に売り捌かなければならないという商売上の宿命を負っていました。
ここに至り、電気の普及という理想などどうでもよくなっていきます。
追い詰められたエジソンは、最後の手段として「交流は危険である」というネガティブ・キャンペーンに打って出ます。
ウェストオレンジにある大研究所では、大勢の新聞記者たちを前にして、狂気の実験が連日繰り広げられていました。
1000ボルトの交流発電機に導線をつなぎ、そのブリキ片にイヌやネコを近づけて感電死させるのです。
実験用の動物は、無尽蔵にいました。
なぜなら、エジソンが子供たちを焚きつけて、野良犬や野良猫を一匹25セントで買い上げていたからです。
これだけでもかなり常軌を逸した行動ですが、さらにエスカレートしたエジソンは象までも犠牲にしてしまいます。
そして、象の次に選ばれたのは、なんと人間でした。
1890年、エジソンのゴリ押しに屈したニューヨーク州当局は、ウェスティングハウスの交流機を使って歴史に残る死刑執行を行います。
これが、私たちが大発明家と尊敬してやまないエジソンの、実業家としての知られざる一面です。
対するテスラも負けてはいませんでした。
こちらは、100万ボルトの交流を自分の体に通して照明を灯すという、何ともセンセーショナルな実験で安全性をアピールします。
今なら差し詰め「米村でんじろう」か「プリンセス天功」といったところでしょうか。
ついには、直流と交流の両方に投資していたあのJ・P・モルガンが説得に乗り出しますが、エジソンは全く聞く耳を持ちませんでした。
ここまでこじれた背景には、二人の間にドロドロの遺恨が存在していたからです。
実は、テスラはエジソンの下で働いていた時期がありました。
エジソンの盟友チャールズ・バチュラーの紹介状を携えて、1884年の夏テスラはパリからニューヨークに向けて旅立ちます。
途中で盗難に遭ったテスラがエジソン社に着いた時、所持品は自作の詩集と二本の技術論文、超難解な積分の解法を書きつけた紙切れと友人の住所を記したメモ、それに小銭がわずか4セントでした。
しかし、この着の身着のままの青年の技術的能力を、エジソンはすでに見抜いていました。
青年もまた、学歴がないのに数々の偉業を成し遂げた発明家を深く尊敬していました。
テスラはエジソンのもとで、休日もなく毎日18時間以上働きます。
ある日、直流発電機の問題点に気づいたテスラが改良計画を提案しました。
エジソンは、もしその計画を完成させたら5万ドルのボーナスを払うことを約束します。
尊敬する師の元で、寝食を忘れて仕事に没頭した数カ月は、テスラにとってとても幸せな日々だったことでしょう。
しかし、ついにその計画を完成させボーナスの支払いを要求した時、エジソンは信じられない言葉を吐きます。
「テスラ、君はアメリカ流のユーモアが分からないようだな」
結局、契約した金額以外1セントも貰えなかったテスラがエジソンのもとを去ったのは、1885年の春と言いますからわずか1年にも満たない短い関係だったことになります。
エジソンは、他人のアイデアを横取りするというエピソードに事欠かない男でした。
2014年3月のブログ『野口英世と森鴎外』でも書きましたが、人格的にどんな欠格者であっても、名声さえ勝ち取ってしまえば「偉人」として歴史に名を刻むことができるということでしょうか。
ところで、電流戦争の方はその後一体どうなったのでしょう?