株式会社ファイブスターズ アカデミー
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日本が鎖国している間に、世界の文明は遥か先に進んでしまっていました。
石黒から西洋の発明品の素晴らしさを伝え聞いた先蔵は一念発起し、昼は叔父の工場に勤めながら夜は決して遅れない時計の開発に没頭します。
しかし、問題は「液体電池」にありました。
時計だけではありません。
「液体電池」を電源とする通信機などすべての電気機器が、寒冷地では全く役に立たないのです。
ところが、不眠不休で研究に没頭する先蔵の執念は岩をも貫きます。
しかもこの世紀の大発明は、世界に知られるチャンスにも恵まれました。
ついに先蔵の「乾電池」は、世界の檜舞台に立ったのです。
その年の暮れ、アメリカから「ドライ・バッテリー」という、その名称までも完璧に模倣した商品が輸入されたのです。
すでに特許登録が認められていた先蔵は、勢い込んで特許局に駆け込みます。
もはや、先蔵にはどうすることもできませんでした。
最大の問題は、時代が追いついていないことでした。
銀座2丁目に、デモンストレーションとしてアーク灯が点灯されたのは、シカゴ万博から遡ることわずか11年前。
つまり、そもそもこの時代には、「乾電池」を使うような電気機器が普及していなかったのです。
せっかく西洋の技術に追いつき、そして追い抜いたというのに・・・。
しかし、追い詰められた先蔵にも、ようやく女神が微笑む時が訪れます。
翌年の1月12日、「乃木希典少将、満州海城を攻略す」の大見出が踊る号外を手にした先蔵の目は、その後に続く文字に釘付けとなりました。
先蔵は喜びのあまり、手の震えを抑えることができませんでした。
「乾電池」が世に認められた瞬間です。
この時先蔵は陸軍から得た利益のすべてをつぎ込んで、石黒や田中館を始めお世話になった人々を招き盛大な謝恩会を催します。
一つの発明の陰に、どれだけ多くの人々の支えがあったことか。
後に「乾電池王」と呼ばれた先蔵でしたが、その死後は急速に会社が傾いてしまいます。
そして日露戦争が勃発すると、今度は島津製作所の島津源蔵が開発した充電のできる電池、すなわち「蓄電池」が大活躍しバルチック艦隊撃破に貢献します。
佐久間象山から脈々と続く、電池に関する先人たちの執念とも言うべき研究心。
もし、あの時先蔵が入学試験に遅刻していなかったら、という仮定はあまり意味がありません。
重要なことは、先蔵が失意のどん底にあってもなお、必死で立ち上がろうとしたことです。
ただこれからは素晴らしい発明というものは、戦時ではなく平和な世の中でこそ脚光を浴びる時代であってほしいと心から願います。
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