最近、時計を持たずにスマホで時間管理をする若者が多くなりました。
でも、もしスマホの電池が切れてしまったら、今何時なのかわからなくなりますよね。
今回は、この電池と時計の切っても切れない関係に纏わる話です。
入学試験に遅刻したことがきっかけで、世紀の大発明を成し遂げた男がいます。
3才で父親を亡くした屋井先蔵(やいさきぞう)は、1875年(明治8年)11才で東京神田旅籠町にある時計店に奉公に出ます。
しかし、先輩女中から浴びせられる容赦ない叱咤と罵声によって体調を崩し、失意のうちに一旦故郷の新潟に戻ります。
でも先蔵は挫けませんでした。
その2年後には再起を期して、長岡の矢島時計店に再び丁稚として奉公に上がります。
ゼンマイで動く精緻なメカニズムに、先蔵は一瞬で魅了されました。
と、その時です。
何の前触れもなく、突然ある考えが閃いたのです。
「そうだ!永久機関を作ろう」
ゼンマイに動力を頼るのではなく、永久に動き続けることのできる時計。
これが後の大発明に繋がります。
それからは、暇を見つけては近くの古本屋で関連書物を立ち読みする日々。
ところが専門書は漢字で書かれていたため、まずは漢字の勉強から始めなければなりませんでした。
ある日、店の二階にある丁稚部屋で夜遅くまで漢字の書物と格闘する先蔵に、相部屋となったもう一人の丁稚少年が呟きます。
「先蔵君、君は実に感心だ。が、しかし・・・」
少し言い淀んだ後、こう続けます。
「惜しいことに学問がない」
少年が言うには、永久機関の発明には、最先端の工学と物理学の知識がいるのだそうです。
学問の重要性に気づいた先蔵は、7年間の年季奉公が明けるのを待って東京を目指します。
東京職工学校(現在の東京工業大学)を受験しますが、英語の出来が悪く残念ながら不合格でした。
当時の入試には年齢制限があり、先蔵にとっては翌年の試験が最後のチャンスとなります。
後がない先蔵は猛勉強に明け暮れますが、いよいよ試験前日の夜を迎えると今度は緊張のためなかなか寝付けません。
翌朝、外神田の大時計の鐘の音で目を覚ました先蔵は、「あっ!」と叫び布団から跳び起きます。
寝坊をしてしまったのです。
取るものも取りあえず部屋を飛び出し、必死の形相で一目散に試験会場へと走りながら途中の店々の柱時計で時刻を確認するうちに、先蔵はあることに気づきます。
それぞれの時計が指し示す時刻が違っているのです。
最後に見た時計は、9時1分前でした。
「しめた!」と思って会場に駆け込もうとした先蔵の目に飛び込んできたのは、すでに固く閉ざされてしまった校門でした。
門を開けてほしいと懇願する先蔵に、犬でも追い払うように手を左右に振るだけの門番。
そこに近づいてきた一人の教官が、背広の胸ポケットから懐中時計を取り出しながらこう言います。
「ちょうど5分の遅刻だ。残念だが、来年また来給え」
明治の初めと言えば、まだラジオも時報もない時代。
ですので、どの時計が正確な時刻を指しているのかなんて、本当のところ誰にもわからなかったのです。
もしかしたら、教官の時計の方が5分進んでいたのかもしれません。
失意のどん底に突き落とされる先蔵。
寄宿先に戻る頃には、もはや感情を抑えることができなくなっていました。
獣のような声をあげ、いつまでもいつまでも泣き続けます。
窓の外が白みかける頃、涙もすっかり枯れ果てた先蔵はある思いに至ります。
「身のまわりにあるすべての時計が、一分一秒違わず正確な時刻を示していたら、おれのような不幸な目に遭う者は二度とあらわれないはずだ」
たった5分の遅刻のために受験できなかった悔しさが、正確に動く時計の発明を決意させたのでした。
その頃先蔵が寄宿していた先は、陸軍省軍医監の石黒忠悳の屋敷でした。
森鴎外の上官でもあった石黒は傷心の先蔵を部屋に呼び、若い頃出会ったある人物の話をします。
尊王攘夷に凝り固まっていた血気盛んな石黒青年の目を、世界に向けて開かせてくれたその人物とは、佐久間象山でした。