株式会社ファイブスターズ アカデミー
まずはお気軽に
お問い合わせください。
03-6812-9618
まずはお気軽に
お問い合わせください。
03-6812-9618
「ミスター・バッジ、20ドル貸してくれませんか?」
熱烈なジャズファンで、1938年に史上初のグランドスラムを達成した伝説のテニスプレーヤーであるドン・バッジが、
「ヴィレッジ・ヴァンガード」でビル・エヴァンスに挨拶した時のエヴァンスの返事です。
「なんてことだ。悲しすぎる。
ビルが弾く、あの、世にも美しい『ア・チャイルド・イズ・ボーン』がドラッグから生まれただって?」
髪をきっちり七三に分け黒ブチの眼鏡をかけた、
一見エリート銀行マンのような風貌のジャズピアニストが、実は筋金入りのジャンキーだったとは・・・。
ビル・エヴァンスは、ジャズ史に大きな変革をもたらした偉大なピアニストです。
ジャズクラブの演奏というのは、あくまでトランペットやサックスを加えたグループがメインで、
彼らが休憩をとる幕間に、客が軽い食事をとったり、おしゃべりしたりする時のBGMがピアノトリオだったのです。
ところが、ビル・エヴァンス以降は、ピアノトリオだけでビジネスが成立するようになります。
同時にその演奏は、若き天才ベーシスト、スコット・ラファロとの出会いによってもたらされた化学反応の賜物でもありました。
ラファロに関するMJQのべーシスト、パーシー・ヒースの証言があります。
また、こんな目撃談も残されています。
1961年6月25日の日曜日、「ヴィレッジ・ヴァンガード」で録音されたジャズ史に残るライヴは、
まるでドラムスのポール・モチアンひとりがリズムセクションを務める、双頭コンボであるかのような印象さえ抱かせます。
しかし、この代表作『ワルツ・フォー・デビー』が世の注目を集めたのには、
その心に染み入るような演奏もさることながら、とても不幸な出来事が関係しています。
録音の11日後、ラファロの運転するクライスラーが、ルート20の道端にあった大木に激突してしまったのです。
享年25。
かつて50歳で亡くなった父親の葬儀の席で、
「僕は25歳で死ぬような気がするんだ」と呟いた天才の予言は、不幸にも的中してしまいました。
途方に暮れるエヴァンスを支えたのは、その年に知り合ったエレインでした。
二人分の麻薬代を稼ぐため、エヴァンスは休む間もなく世界中を飛び回りますが、
ツアー先のロサンゼルスのジャズクラブで、ネネットという若いウェイトレスと運命的な出会いをしてしまいます。
エヴァンスは、それが“誠意”だと思ったのでしょう、10年間連れ添ったエレインに正直に心情を打ち明けました。
その後ネネットと正式な結婚をしますが、彼の指は倍くらいの太さに膨れ上がり、
隣の鍵盤を叩いてしまうこともしばしば。
例えるならばビル・エヴァンスは、静寂が支配する真っ青な湖に浮かぶ一羽の白鳥です。
そしてある日、不意に白鳥が飛び立ってしまうと、
水辺に遺された私たちに出来ることと言えば、麻薬を憎むことだけでした。
でも、どうしてもわからないことがひとつあります。
さらに日本の「禅」に関心を持ち、マンハッタンの図書館にあった関連書物を片っ端から読み漁ったりもしました。
そこまで厳格に自分と対峙したはずのエヴァンスが、なぜあんなにも深く麻薬に溺れてしまったのでしょうか。
彼が麻薬を覚えたのは、兵役に就いていた時と言われています。
もしこの二つが原因だったとするなら、エヴァンスは戦争と人種差別の犠牲者だったと言えるのかもしれませんね。
初めての方へ|研修を探す|講師紹介|よくある質問|会社案内|お知らせ|お問い合わせ|サイトのご利用について|個人情報保護方針
© FiveStars Academy Co., Ltd. All right reserved.