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5☆s 講師ブログ

ノーベル賞

今年のノーベル賞に関する最大のサプライズは、ボブ・ディランの文学賞授章でした。

シンガー・ソング・ライターの「詞」を、文学として扱っていいものかと世間では議論が沸き起こりましたが、

私は特に問題だとは思いません。
なぜなら日本でも、現代詩文庫の中に『友部正人詩集』があるくらいですから。

でも、「詞」ではなく、純粋に「詩」としてそのクオリティを評価したとき、
果たして何らかの賞に値するかとなると、少なからぬ疑問が残ることも事実です。

振り返ると、ボブ・ディランの登場は極めて衝撃的でした。

『風に吹かれて』や『戦争の親玉』という「反戦」の象徴を引っさげて現れると、
瞬く間に若者たちのヒーローに崇め奉られます。

日本でも、すべてのフォーク・シンガーが、ディランの「反戦」スタイルに影響を受けたと言っても過言ではありません。

高田渡や加川良は言うに及ばず、南こうせつ率いるかぐや姫でさえ、
デビュー曲『酔いどれかぐや姫』のB面は『あわれジャクソン』という反戦歌でした。

抗議は「反戦」に留まりません。

岡林信康は『チューリップのアップリケ』で差別を告発し、泉谷しげるは『黒いカバン』で警察権力を揶揄しました。
新宿西口を占拠したフォーク・ゲリラたちのプロテスト・ソングは、様々な“反権力”の叫びに分化していったのです。

この動きとは対照的に、一貫して社会的メッセージ性とは無縁の曲を歌い続けたのは、
『カンドレ・マンドレ』でデビューした、アンドレ・カンドレくらいのものではないでしょうか。

その後、この歌手が井上陽水と名前を変えて大ブレイクした背景には、
学生運動がすっかり下火になっていたという社会情勢が大いに関係しています。

ところで、歌詞の文学性はさて置き私がもっとも驚いたのは、ボブ・ディランがノーベル賞を辞退しなかったことです。
反戦の旗手として、あらゆる権力や権威を真っ向から否定してきた男が、まさか有り難く賞を押し戴くとは・・・。

ディランが最も憎んだのは戦争でした。
ノーベル賞を創設したのは、その戦争の武器の原点とも言えるダイナマイトを発明した、言わば『戦争の親玉』のご先祖様にあたる人物です。

おそらく彼も受賞については逡巡したことでしょう。
しかし結局のところ、あれほど忌み嫌っていた“権威”に取り込まれてしまったということでしょうか。

権威に屈しない男として、『卑ではない』(2015年11月)の回で石田禮助の話を書きました。

石田は、時の総理大臣のたっての願いであった勲一等叙勲の話を、
「オレはマンキー(山猿)だよ。マンキーが勲章下げた姿が見られるか」
と言って断ってしまいます。

まさに、権威が人の価値を決めるのではないということを、身をもって示したと言えましょう。

文化勲章を辞退した陶芸家の河合寛次郎も、その理由は「名利を求めない」というものでした。

そこで、過去にノーベル賞を辞退した人がいたのか調べてみたら6人もいました。

そのうち4人は、本人の意思で辞退したわけではありません。

ドイツとオーストリアの3人の科学者は、ナチス政権から圧力をかけられたため辞退せざるを得ませんでした。

旧ソ連の作家パステルナークの場合は、『ドクトル・ジバゴ』の内容が
反ロシア革命的だとしてソ連共産党が受賞を認めませんでした。

自らの意思で辞退したのは、北ベトナムの労働党政治局員レ・ドク・トと、フランスの哲学者サルトルだけです。

レ・ドク・トは、粘り強い交渉の末にベトナム戦争を停戦に漕ぎ着けたことが評価され、
1973年にキッシンジャー米大統領補佐官とともに平和賞の共同授賞となりましたが、
「アメリカが停戦違反を繰り返している」ことを理由に、北ベトナム政府から受賞拒否が伝えられます。

これもあくまで政府発表ですので、本当に本人の意思かどうかはわかりません。

そこで平和賞を授与したノルウェー・ノーベル委員会は、翌74年の10月1日まで受賞は可能であるとして、
ベトナムの状況が変わるのを待ちました。

しかし、サイゴンが陥落して南北統一が叶ったのは、期限より半年ほど後の75年4月30日。
レ・ドク・トは残念ながら受賞を逃したわけですが、彼にとってはノーベル賞なんかより、
祖国に平和が訪れたことの方が嬉しかったのではないでしょうか。

1964年の文学賞を拒否したフランスの哲学者サルトルの場合は、ちょっと事情が複雑です。

すべての賞を辞退していることを理由に、選考委員会に「選ばないでほしい」と伝えたのですが、
当時の郵便事情が悪かったため、その手紙がストックホルムに届いたのは発表の後だったのです。

これとは反対に、辞退の意思が事前に伝わったことで、
委員会が授与を見送ったのではないかと思われるケースがトルストイです。

そうでなければ、わざわざ公式サイトで紹介することもないでしょう。

大江健三郎はノーベル文学賞は受賞しましたが、慣例として授与される文化勲章は辞退しました。

理由は「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」というもの。

要するに大江は、“権威”が嫌いだったわけではなく、“天皇制”が嫌いだったということでしょう。
でも、ノーベル賞が「民主主義を超えない範囲の権威や価値観」によるものかどうかは議論の余地があります。

なぜなら今回の騒動でも、文学賞授賞の連絡に応じないディランを「不遜」、「傲慢」と非難した、
スウェーデン・アカデミーのメンバーがいたからです。

今回は、“権威”の前に脆くも跪いてしまったボブ・ディランに対して批判がましい文章を連ねてきましたが、他人のことは何とでも言えるものです。
もし、自分なら果たして辞退するかと考えてみました。

長考の末に達した結論はこうです。

「考えるだけ時間の無駄」

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