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5☆s 講師ブログ

汝、何の為に

企業の不祥事が後を絶ちません。
それも上層部まで関与する不祥事です。

株主からのプレッシャーもあるのでしょうが、業績をよく見せたいがために売上数字を操作したり、
おかしな経理処理に手を貸したり、あるいは検査結果を改竄したり・・・。

部長とか課長とかいっても、所詮はサラリーマン。
「長いものには巻かれろ」というのは、みんなやってる処世術です。

青臭い正義感を振りかざして、上司から煙たがられでもしたら、間違いなく人事に影響します。

かくして企業の不祥事は、終わることなく延々と続くのでした。

「汝、何の為に其処に在り也」

ある高校の校長の言葉です。

私が入学するずっと前、母校の校長が生徒に向けて問いかけました。
それから半世紀が過ぎましたが、卒業生たちの間で未だに語られている名言です。

「汝、何の為に其処に在り也」

人は皆平等です。

平等の存在です。
それが人権思想というものです。

でも・・・、と私は思うのです。

人は皆、平等の存在としてそこに「在る」のですが、
そこに「在る」こと自体に、何らかの意味があるのではないでしょうか。

もし、意味はないというのなら、人間は道端の石ころと同じような存在ということになります。

石ころの平等論を語る人はいないでしょう。

人間が石ころと違うのは、その存在自体に何らかの意味があるからです。

人間はそれぞれ何らかの意味を持って、そこに「在る」のです。

その意味こそ、「存在理由」というものではないのでしょうか。

会社の会議が不祥事容認論に傾いた時、あなたがその会議に参加している意味は何でしょう?

言い換えると、会議におけるあなたの存在理由は何でしょう?

「理屈は解るが、現実問題として上層部がそう言ってるんだから、反対意見が許されるような空気じゃないんだ!」

そういう反論が聞こえてきそうです。

確かにそうかもしれません。

でも、本当にそうなら、あなたの存在は石ころと同じということになります。
あなたが会議に参加しなくても、あなたの席に石ころを置いておけば事足りますよね。

あなたが石ころと違うのは、自分は何のためにここに座っているかを考える存在だということです。

それを考えないのなら、あなたの存在は石ころと同じです。

企業不祥事の事例を見ていると、上層部の暴走を途中で制する機会は、いくらでもあったことがわかります。

しかし、誰もそのような行動はとりませんでした。
「上層部の意向」という一言で、皆が石ころと化し、押し黙り平伏したのです。

誤解のないよう申し添えますが、私は「社内の政治力学」の話をしているのではありません。

「人間の哲学」の話をしているのです!

私たちは、サラリーマンである前に人間です。

人間としての、あるべき姿の話をしているのです。

人間は、権威の前にあっても人間のはずです。

権威の前に出ると、急に石ころに姿が変わってしまうわけではありません。

人事も確かに大事でしょう。

しかしそれは、人間としての尊厳よりも優先することなのでしょうか。

人事とは、人間としての尊厳を捨てて、石ころに変身してまで優先しなければならないほど、
価値のあるものなのでしょうか。

一人一人が、自分が今この場所にいることの意味をよく考え、
ほんのちょっとの勇気を出すことができたら、自分の乗る船が誤った方向に舵を切るのを防げるはずです。

船長の指示が明らかに間違っているにも関わらず、乗組員全員が唯々諾々と従う船は、はっきりいって“泥船”です。
船を泥船にするのは、船長ではありません。

乗組員自身です。

この言葉を発した校長の鈴木健次郎は、その意をこう補足しました。

「今の民主主義というものは、ともすれば、外部の権力に対する抵抗として考えられまするけれども、
本当の民主主義とは、自らの内心にある邪念・欲望に打ち克つことであります」

あなたが戦わなければならないのは、上司ではありません。

あなたの内心に巣食う、人事に関する邪念や欲望です。
しつこいようですが、もう一度問います。

「汝、何の為に其処に在り也」

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