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5☆s 講師ブログ

作家とウィスキー(2)

前回は『ルパン』での太宰の撮影秘話をお話ししましたが、『ルパン』と言えばやっぱり坂口安吾。

自宅では、作業服と昔の大工の前垂れを合体させたような、
「安吾服」なる奇妙な創作服の大きなポケットに常にサントリーの角瓶を忍ばせていたそうです。

しかし、『ルパン』ではもっぱらジンと卵黄とレモン、
そして少々の砂糖を加えたゴールデンフィズというカクテルを好みました。

開高健と山口瞳は、もともとサントリーの前身である寿屋の宣伝部員。

ですので、ウィスキー好きなのは当たり前。

「『人間』らしく 

やりたいナ 
トリスを飲んで 
『人間』らしく
やりたいナ 
『人間』なんだからナ」

このコピーで一躍名をあげた開高が最も愛したのは、スコッチの代表とも言うべき『マッカラン』。
ロイヤルバンク・オブ・スコットランドの10ポンド紙幣に描かれているポットスチルは、マッカランのものがモデルと言われています。

これが、「とらや」の小倉羊羹『夜の梅』と絶妙にマッチすると言うのが開高の持論でした。

曰く、その組み合わせでなければ「絶対アカンのや」。

たしかに、『夜の梅』は『マッカラン』のフルーティーさを上手に引き出してはくれますが、

個人的には『たけのこの里』でも遜色ないような気がしないでもありません。

山口瞳は数々の名コピーを残しました。

ある年の成人式の日の新聞に掲載された、サントリー・オールドの『人生仮免許』というコピーが実に秀逸です。

「二十歳の諸君!
今日から酒が飲めると思ったら大間違いだ。

諸君は今日から酒を飲むことについて勉強する資格を得ただけなのだ。
仮免許なのだ。
最初に、陰気な酒飲みになるなと言っておく。
酒は心の憂さを払うなんて、とんでもない話だ。
悩みがあれば、自分で克服せよ。
悲しき酒になるな。
(略)
ところで、かく言う私自身であるが、実は、いまだに、仮免許がとれないのだ。
諸君!
この人生、大変なんだ」

なんとも共感を呼ぶコピーですよね。

一度は作家になることを諦めた山口ですが、新橋の酒場で毎夜繰り広げる放談が評判を呼びます。

常連客のひとりだった『婦人画報』の編集長がそれをいたく気に入り、
いきなり彼に連載小説を書かせますが、それがあの『江分利満氏の優雅な生活』。

ストレートかオンザロック派の山口は、ある日バーでウィスキーを注文した時、バーテンダーから「水割りですか?」と聞かれ、

「酒を水で割って飲むほど貧乏しちゃいねえや」と返します。
オンザロックだと氷が大きすぎるイメージだとして、この直木賞受賞作でも「オン・ザ・ロックス」と表記しています。

ちなみにオンザロックとは、氷の上という意味です。
つまり氷がグラスの底に沈み、その上にウィスキーがある状態なのですが、
冷蔵庫で作った氷では空気が混じっているためプカプカ浮かんでしまい、アンダーザロックになってしまいます。

しかし、バーなどで供されるしっかりした作りの氷塊となると、
グラスにウィスキーを注いでもグラスの底にずっしりと落ち着いたままで、浮かび上がるようなことはありません。
これが正しいオンザロックです。

なぜそうなるかというと、ウィスキーは水より比重の軽いエタノールの濃度が高いからだそうです。
ウィスキーと水を1:1で割るのを、トゥワイスアップというそうですがこれでも氷は沈みます。

ですので、水が多すぎて氷が完全に浮かんでしまっている「ウィスキーの水割り」は、
正しくは「水のウィスキー混ぜ」とでも言うべきでしょう。

ただし、ストレートやオンザロックは胃によくありません。
山口も、晩年になると体を気遣ってローヤルの水割りにしたそうです。

あの竹鶴政孝だって、毎日飲むのならウィスキーと水を1:2の割合で割ることを勧めているくらいですから。

半村良は長い下積み時代を、新宿の酒場でバーテンダーとして過ごしました。

高級ウィスキーしか置いていない店でしたが、人生の敗北を味わった風情の、
すっかり落ち込んだ様子の客が来ると、こっそりとカウンターの下に隠しておいたトリスを飲ませたそうです。
本当に、この人生、大変なんです。

村上春樹は、ウィスキーのエッセイを書くためにスコットランドを旅しました。

『ラフロイグ』の10年ものと、15年ものを飲み比べた難解な論評があります。

「10年ものはジョニー・グリフィンの入ったセロニアス・モンクのカルテット、

15年ものはジョン・コルトレーンの入ったセロニアス・モンク・カルテット」

15年ものの『ラフロイグ』は飲んだことがないので、どういう意味かよくわかり分かりせんが、

あえて解説を試みるならば、グリフィンの演奏は客を酔わせるために自分も酔いしれる演奏であるのに対し、
コルトレーンの場合はベクトルが自分の内側だけに向かっているような気がします。
つまり、後者の方がより“哲学的”ということでしょうか。

やっぱりウィスキーは、三鍋の言う通り「自我に向かっていざなってくれる」酒のようです。

いずれにせよ、どちらもリーダーはモンクですので、頑固なまでに個性的であることは間違いありません。

かつてモンクは、グローヴァー・セールズのインタビューにこう語ったことがあります。

「僕は商売人じゃない。

自分のやり方で演奏するだけだ。
僕がやりたい演奏をして、それを聴衆が手にするんだ。
たとえ認められるまでに15年、20年という年月がかかってもね」

なるほど。
作家もウィスキーも、世間が認めてくれる時が来るまで、

時代との長い長い我慢比べに耐えなければならないということですね。

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