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5☆s 講師ブログ

作家とウィスキー(1)

黒井千次の『時間』を最後に、小説は読まないという主義を貫いて、もう40年近くになりますが、
今回は作家とウィスキーの関係について考えてみたいと思います。
なぜそんな気になったかと言うと、三鍋昌春のこんな文章を目にしたからです。

「ウィスキーとは基本的に舞台装置で飲む酒ではない。

飲み手の知性を引き出し、自我に向かっていざなってくれる酒である。
誰と一緒かとか料理の相性はどうかといった外面ではなく、飲み手自身の心の内面との対話に導く」

深いですね。

ちなみに三鍋は作家ではなく、某洋酒メーカーの部長です。
ウィスキーの前では、誰でも自然に文学的センスが磨かれるのかもしれません。

作家の酒癖については、矢島裕紀彦の著書に詳しく紹介されています。

井伏鱒二はかなりのウィスキー好きでした。

汽車に乗るときは、必ずウィスキーの小瓶と小さな水筒、
それにプラスチックのコップまでボストンバックに入れて、自分で水割りを作って楽しんでいたそうです。

釣り好きな井伏は、釣り竿一本担いでどこにでも旅に出かけました。

ある時、5時間もかけてようやく南伊豆の旅館に着きます。
ところが、宿の女将が井伏の顔を知らなかったため、「部屋はあるか」との問いにこう答えてしまいます。

「部屋は一つしか空いていませんが、それは東京から井伏先生という方がおいでになるから、
よろしく頼むとある人からお電話がありましたので、すみませんけど・・・」

すると彼は、「はあ」と返事をしただけで、また5時間かけて東京に帰ってしまいます。

流れに逆らわないと言えばカッコ良く聞こえますが、並みの神経ではありませんよね。

その井伏を慕っていた太宰治もまた、ウィスキーが好きでした。

近所の酒屋でウィスキーを買っては、和服の袂に入れて上機嫌で帰って行くのが常でした。

ある日、銀座で宝石や古美術を商っている若主人の招きで、友人の劇作家、伊馬春部とともに熱海に向かいます。

この時、ウィスキー好きの太宰はポケット瓶を持参しましたが、長い道中をポケット瓶一本で賄うのは至難の業。

なんとか持たせようとした伊馬が、横浜で一杯、藤沢で一杯と予め駅を決めて飲むことを提案します。
ところが、有楽町を過ぎたとたん、我慢出来ない太宰が「飲み始めよう」と言い出す始末。

そこで、気を紛らわせるため二人は言葉遊びに興じます。
あらゆる名詞を「悲劇名詞」と「喜劇名詞」に分類するという遊びです。

例えば「川は喜劇で海は悲劇」、「一升瓶は喜劇でウィスキーは悲劇」といった具合です。

しかし、この遊びに夢中になってしまった太宰は、藤沢を過ぎたことに気がつきません。

伊馬は、これ幸いと黙っていました。
茅ヶ崎に着いた時、ようやく気づいた太宰は烈火のごとく怒り出し、「ひと駅ごまかしたな!」。

あまりに大人気ないその様子に、「太宰は喜劇」というレッテルが貼られますが、
本人は愉快そうに聞いていたそうです。

そんな太宰ですが、『酒ぎらい』というエッセイを残しています。

彼の言い分はこうです。

「家に酒を置くと気がかりで、そんなに呑みたくもないのに、
ただ、台所から酒を追放したい気持ちから、がぶがぶ呑んで、呑みほしてしまうばかり」

子どもみたいな言い訳ですよね。

酒に纏わる失敗談が、名作を生むきっかけになることもあります。

太宰が熱海の旅館に籠って小説を書いていたとき、手持ちの金が底をついてしまいます。
そこで、太宰の妻から金を託された檀一雄が熱海に向かいました。

ところが、二人は居酒屋や遊郭に繰り出してドンチャン騒ぎ。

たちまち持参した金は底をつき、逆に借金ができてしまいます。

太宰は、落語の『居残り左平次』さながら、檀を人質に残して金策のために帰京しますが、待てど暮らせど音沙汰がありません。
今度は『付き馬』そのままに、檀は借金取りを伴って太宰を探しに東京へ。

ようやく見つけた太宰は、なんと井伏の家で悠々と将棋を指しているではありませんか。

激昂する檀を井伏がなんとかとりなした時、太宰が低い声でぼそりと呟きました。

「待つ身がつらいかね。待たせる身がつらいかね」

これが後の『走れメロス』のヒントになりました。

感動の名作は、実に不真面目なエピソードから生まれたわけです。

太宰と酒場と言えば、とても有名な写真があります。

銀座のバー『ルパン』で撮られた林忠彦の作品です。
カウンター椅子の上に、編上靴で胡座をかいて座っている太宰を、かなりのローアングルから撮ったもの。

この写真が撮られたのは昭和21年11月。

実は林は、大阪から上京していた織田作之助を撮影するためにルパンにいたのです。

すると傍らで、「おい、織田作ばっかり撮ってないで、俺も撮れよ」と、しつこく絡んでくるタチの悪い酔っ払いがいました。

その人物こそ、誰あろう太宰治です。
ライバル心丸出しのところも、彼の“少年さ”を物語っていますよね。

かねてから太宰にも関心があった林ですが、この時フラッシュバルブの残りは僅か一本。

狭い店内で、トイレのドアを開け放ち、和式の便器に顔をすりつけんばかりに近づいてあのローアングルを確保します。

こうして林は、絶対に失敗できない一枚を撮り終えたのでした。
ちなみに織田の方は、ほとんど酒が飲めなかったそうです。

ところで、『ルパン』と言えば、もう一人有名な作家がいましたよね。

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