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5☆s 講師ブログ

祭りの後

熊本地震に関するネット記事を見ていたら、地震直後に取材していたあるテレビ局のアナウンサーが、
現地で調達した弁当を食べたということが問題視されていました。

報道陣だって人間なのだから、食事くらいはするでしょう。

なぜこのことが批判されるのかと最初は疑問に思いましたが、すぐに私の考えが間違っていることに気づきました。

震災直後は食糧がかなり不足していたため、
避難した住民の多くが満足な食事をとれなかったことを思い出したからです。

そう言えば、自分たちの食糧を持参せずに現地に乗り込んだため、
空腹の挙げ句に官邸に食糧支援を訴えて批判された副大臣もいました。

そもそも大挙して現地に押しかけた報道陣は、どうやって食糧を調達していたのでしょう。

現地にある食糧は、被災者に最優先で配られるべきです。
とすると、報道陣は自分たちの食糧の何日か分をあらかじめ積み込んでから、
現地に向かったということになります。

本当でしょうか?

また、あるテレビ局の中継車が、ガソリンスタンドに並ぶ地元の人たちの車列を無視して横入りしたことが、
これもまたネットのニュースで叩かれていました。

不思議なことに、この手のニュースはマスメディアではほとんど報道されません。
同業者のよしみということなのでしょうか。

さらには、避難所を煌々と照らすテレビ局の照明が眩しくて、避難住民が眠れないという話も伝わってきました。

あるメディアは、今にも倒れそうな家の前にカメラを据え付けて、“その時”をひたすら待っていたそうです。

私たちが大いに心配したひっきりなしに続く余震は、彼らにとっては衝撃映像を撮る絶好のチャンスだったのです。

これでは、人の不幸をエサとする現代のハイエナではありませんか。

現地入りした報道陣は、未曽有の事態を目の当たりにして、一様に興奮を押さえきれない様子でした。

さも、歴史的場面に遭遇したかのように高揚した口調の記者やアナウンサーの中には、
冷静さを失っているように見える人さえいたほどです。

被災地の人たちに多大な迷惑をかけてまで、
彼らがどうしても伝えなければならなかったものとは、一体何だったのでしょう。

災害が起きると、マスメディアは我先にと現地に飛び、
さも貴重な情報だと言わんばかりに生の映像を放送しますが、これは日本特有の現象です。

欧米のメディアは、大災害や大事件が発生した場合、初動はすべて通信社に任せます。

自社のチームを送り込んだりすることはせずに、
まずは通信社が配信する記事や映像をそのまま使って事実だけを報道します。
混乱している現場に大勢の取材陣を送り込んでも、警察や消防の邪魔になることがわかっているからです。

その間、彼らはメディアが取り上げるべき論点は何かを考えます。

その背後に潜むものとか、リスク対策は万全だったのかとか、
この問題の切り口はどのようなものがあるのかを検討するのです。
これがジャーナリズムというものです。

もし、どうしても現地に赴かなければならないケースがあるとすると、それは通信社も行かない危険な戦場だけです。

この役目は、主にフリージャーナリストが担っています。
そして、彼らが取材した映像や記事をマスメディアが配信するのです。

日本のマスメディアは、戦場にはめったに行かないくせに、被災地にはすぐ行きます。

まるで野次馬のように・・・。

熊本地震の際、大挙して押しかけたマスメディアは、ジャーナリズムの役割というものを考えたことがあったでしょうか。

彼らが伝えたのは似たような情報と、他局と代わり映えのしない映像ばかりでした。
この程度のことを伝えるために、本当にあれほどの大人数が必要だったのでしょうか。

その疑問がより強くなったのは、2日後に起きた真夜中の本震の時でした。

ホテルで寝ていた報道陣は激しい揺れに叩き起こされますが、そこはさすがに報道マン。
すぐに街の様子を実況する記者もいました。
また、ビルから避難する最中もカメラを回し続けた強者もいました。

当たり前のことかもしれませんが、私はこの時、彼らが「ホテルで寝ている」という事実を改めて認識しました。

多くの避難住民が、ぎゅうぎゅう詰めの避難所や狭い車中で辛い思いをしている時に、
彼らは快適なベッドで足を伸ばして寝ていたわけです。

最初の地震で現地に赴いた取材陣は、おそらく軒並みホテルを押さえたのでしょう。

当然、ホテルは満室となります。

もし彼らが押し寄せなければ、ホテルには空室があったはずです。

そしてもし、行政が十分に機能してそのホテルの空室を借り上げ、
避難所の住民に順番で部屋を提供していたらどうでしょう。
エコノミー症候群を発症する人を、少しでも減らすことができたかもしれません。

そう考えると、大挙して押し寄せた報道陣が、
被災者の食糧と寝る場所を奪ってしまったという側面もあったのではないでしょうか。

もう一度言います。

彼らが本来なすべきことは一体何だったのでしょうか。

被害の大きさを伝えることは、たしかに重要です。

しかし、それは通信社の配信する情報や映像を伝えることでも十分果たせたのではないでしょうか。
私が言いたいのは、報道関係者が大挙して押しかけることのデメリットについても、キチンと検証する必要があるということです。

マスメディアの報道姿勢に対する疑念が次第に強くなり始めた頃、決定的なテレビニュースに接します。

それはテントに関するものでした。

車中泊が原因でエコノミー症候群を発症する人が多いと伝え聞いたあるアルピニストが、
なんとか役に立ちたいとかなりの数のテントを贈ったことが事前に報道されていました。
ようやく足を伸ばせて眠れるようになったわけですが、今度は昼の暑さが彼らを襲います。

強い日差しの下では、テントの中は蒸し風呂とは言わないまでも結構暑苦しくなります。

その大変さを、まるで鬼の首でも取ったかのように延々とレポートしている記者がいたのです。

私は、彼が何を言いたいのか考えてみました。

なぜエアコンも一緒に贈らなかったのかと、責めているのでしょうか。
たしかにそのようにも聞こえます。

しかし、蒸し暑さを執拗に繰り返すその姿から、
このアルピニストに対して個人的な恨みがあるのではないかと訝りたくなりました。

他局とは違った視点で避難住民の辛さを訴えたかったのかもしれませんが、
支援物資を贈ってくれた人への配慮が微塵も感じられなかったことに、私は強い違和感を覚えました。
好意で贈ってくれた支援物資の問題点を、このような形で大々的に全国に発信することが、
果たしてマスメディアの使命なのでしょうか。

もし、寄付の問題点をレポートする事が仕事だと思っているとしたら、
今回の地震で寄付をしたり様々な情報を発信し続けた人に対して、

ネット上で「売名行為」だとか、「好感度を上げようとしている」などと攻撃した輩と同じレベルではないでしょうか。

本当に彼は、一体何を伝えたかったのでしょうか?

被災地の全体像を俯瞰して見たときに、何より最優先で伝えなければならないことが、
テントの蒸し暑さだったとは到底思えません。

たとえ一人でもこのような報道関係者がいて、それが何のチェックもなく全国に放送されるということこそが、
日本のマスメディアのレベルの低さを物語っています。

図らずも今回の地震は、日本のマスメディアが
「ジャーナリズム」という言葉について、確たる定義を持っていないことを浮き彫りにしてしまいました。

しかしそんなことより、もっともっと深刻なことが起こっていました。

今回の地震では、一時は6万人を超える人々が避難を余儀なくされました。

あまりに多くの住民が押し寄せたため、食糧をはじめ備蓄していた物資が不足した避難所もかなりありました。

この時最も必要とされていた情報は、どこの避難所でどんな支援物資が不足しているのかということでした。

しかしマスメディアが伝えたのは、自分たちが取材した避難所に関する極めて断片的な情報だけでした。
このちっぽけな情報に、一体どれだけの価値があったのでしょう。

限定的な「重箱の隅」情報を垂れ流すだけのマスメディアに代わって、大活躍したのはネットでした。

SNSなどによって個別に発信された不足物資に関する情報量は、
マスメディアのカメラが捉える半径10メートル程度の情報量とはケタが違っていました。

ところが今度は、溢れ続ける膨大な情報の交通整理が必要となります。

それを担ったのは、東京の大学生たちが立ち上げたサイトでした。

彼らは地図上で避難所の位置をマークし、どの避難所には何が不足しているのかを明示しました。

なんと情報の発信とその整理は、マスメディアとは関係のない一般市民が行っていたのです。

このような大規模災害の時に、ネットがいかに有効に機能するかを見せつける出来事でした。

と同時に、マスメディアがいかに役に立たないかを思い知らされた出来事でもありました。

このような時に最も緊急性が高い、避難所の支援物資に関する情報収集と整理に関しては、
「通信」が「放送」よりも圧倒的に優位にあるという事実が、白日の下に晒されてしまったのです。

「放送」は大ピンチです。

今、その存在意義が問われています。
すべてのマスメディアは、今回の地震報道を真剣に総括してほしいと思います。

そのポイントの一つ目は、大挙して現地に押しかけた自分たちは、一体何の役に立ったのかということです。

具体的に言うと、通信社が配信する情報を放送することと、
報道陣が大挙して現地に赴くことのメリットとデメリットをキチンと洗い出すことです。

そして二つ目のポイントは、ジャーナリズムとして伝えるべきことは何だったのかということです。

「放送」と「通信」の融合だとか、シナジー効果だとかを目指すならば、
このような大災害の時のそれぞれの機能的役割分担のあり方を検討すべきです。

それにより、もしかしたら「放送」が災害救助の一翼を担うことが可能となるかもしれません。
そして、それを踏まえた上で、現地支援のあり方を論じるならば誰でも耳を傾けるでしょう。

失礼ながら私には、今回のマスメディアの報道は、ジャーナリズムとはかけ離れたところで、
勝手に高揚していた報道関係者たちの“お祭り騒ぎ”にしか見えませんでした。

しかし、終わってしまったことを蒸し返しても仕方ありません。

大切なのは、“祭りの後”です。

なぜなら、大地震は今回で終わりではないからです。

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