株式会社ファイブスターズ アカデミー
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故郷に向かう列車がスピードを落とし、左に大きく弧を描いて、やがて青々とした森の中へと入ろうとした時でした。
イヤホンから流れていた音楽が、明るい曲調に変わります。
ケリーは、15才でR&Bのピアニストとしてプロのキャリアをスタートさせますが、
その後女性シンガーのダイナ・ワシントンの伴奏者やディジー・ガレスピーのバンドを経て、
マイルス・デイヴィスに見出されます。
「ケリーは煙草につける火のような存在だ。彼なくして煙草は吸えない」
マイルスにそこまで言わしめたケリーは、ジャズ史を塗り替えるような数々の名アルバムに参加するうちに、
やがてジャズシーンには欠かせないピアニストに成長します。
自分のグループを立ち上げた時に、ポール・チェンバースやジミー・コブといった錚々たるメンバーが
ケリーのもとに馳せ参じたのは、おそらく彼の人間的な魅力も関係しているのでしょう。
ダイナ・ワシントンとはかなり“いい仲”でしたが、彼女がジミー・コブと結婚した後でも、
何事もなかったかのようにジミーとの友情は続いたそうです。
と言うより、ダイナ・ワシントンは生涯に8回も結婚した“強者”だったので、
ジミーも細かいことはあまり気にしなかったのかもしれません。
ケリーの影響を受けたのは、メンバーだけではありません。
その母親は、将来ケリーのようなジャズメンに育ってほしいという願いをこめて、ウィントンという名前をつけました。
でも、母親がウィントンの名前をつけることに、父親は反対しなかったのでしょうか。
彼と同様、30代で早世したボビー・ジャスパーのフルートで始まる代表作『ケリー・ブルー』は、
題名の割りには実に飄々とした印象を与える名曲です。
そう、ケリーには「飄々とした」という形容がピッタリくるのです。
また、どんなにブルージーな曲を演奏しても、どことなくユーモラスで“ライト・バース”を感じさせるのは、
彼がジャマイカ生まれということも関係しているのでしょうか。
思えば、銀座泰明小学校近くの『ジャズ・カントリー』も、夕方のバータイムの口開けに、
よくこの『イッツ・オール・ライト』をかけていました。
ケリーが耳元で
そうだ!
大切なことは、頭の中で思い悩むことではなく、その時自分にできるベストを尽くすことなんだ。
列車が左に傾いた分、反対側の窓から初夏を思わせる日差しが差し込んできます。
それから49日後。
同じカーブに差し掛かった時に手元のウォークマンを操作して、ブックマークから『イッツ・オール・ライト』を呼び出します。
「大丈夫!心配ないさ。どんな結果だったとしても、得るものはあったでしょ」
今度は、そんな風に聞こえます。
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