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5☆s 講師ブログ

大いなる静寂の谷間

JR九州が、『ななつ星in九州』という超豪華な寝台列車の運行を開始したのは、今から3年前の2013年秋。
当時メディアで盛んに取り上げられたのは、記憶に新しいところです。

しかし私は、「夜行列車」という言葉にあまりいい思い出がありません。
貧しかった学生時代、“寝台”などは夢のまた夢。
固いボックス席で10時間以上も揺られて帰省するのは、苦痛以外の何ものでもありませんでした。

それでも、座席に座れるのはまだましな方です。

遠藤賢司が『夜汽車のブルース』でフォークギターを激しくかき鳴らすあのリズムは、
かつて彼が夜行列車の固い床に新聞紙を敷いて寝たとき、
一晩中鳴り響いていた蒸気機関車の鼓動をイメージしたものだそうです。

今でこそ新幹線が日本のあちこちに延伸し、テレビはしきりに鉄道の旅へといざないますが、
旅行というのはちょっと前までは結構過酷なものだったのです。
そう考えると、移動時間の短縮と快適な座席の進化は、日本の経済発展の象徴と言えるかもしれません。

しかし、ガタンゴトンという響きを聞くと、未だにお尻の痛みと共にひもじい記憶が蘇ってしまう私としては、
高額な運賃を払ってまでわざわざ“夜行列車”に乗ろうという心理が理解できません。

それでも『ななつ星』に関して、ずっと気になっていることがひとつあります。

3年前テレビ局が競って流した映像に、一瞬だけ映ったバーで供されるウィスキーのラベルです。

私の記憶が正しければ、あれはラベルが変わる前のグレンモーレンジ18年ものでは?
もしそうならば、これは一度乗ってみる価値大いにありです。

グレンモーレンジは、スコットランドで最も飲まれているモルト・ウィスキーです。

北部ロス州のタインという町で、16人の昔気質の職人によって作られていたことから、
「タインの16人の男たち」というキャッチコピーで一躍有名になりました。

とにかく、このウィスキーの製法は実にユニーク。

まず、仕込みに使う水はターロギーの泉という湧水ですが、これはミネラル分を多く含む硬水です。
一般に、硬度が100を超えると「硬水」と呼ばれますが、この湧き水はなんとほぼ190あります。

それまでの、「うまいウィスキーは軟水に限る」という常識を完全に覆してしまいました。
ちなみに、ウィスキーを割る時の水は仕込水と同じくらいの硬度がよいとされていますので、
硬度が300近いエヴィアンなどは不適です。
覚えておきましょうね。

熟成に使う樽は、一度ケンタッキー・バーボンの熟成に使用したものを使います。
今でこそ、スコッチの熟成にはほとんどの蒸留所がバーボン樽を使っていますが、
100年も前に真っ先にこの樽を試みたのはかなり斬新なことでした。

さらに近年では、デザイナー・カスクという特注品にこだわっています。
日当たりが悪い上に土地も痩せているため成長するのに時間がかかり、
その分年輪が密に詰まっているという、アメリカ・ミズーリ州のオザーク丘陵のホワイトオークを原木で買い付け、
それを樽に仕上げて4年間ジャックダニエルに貸し付けるのです。
しかも、切り口に定規を当てて、1インチ当たり8~12本の年輪がないと買い付けないという徹底ぶり。

でも、グレンモーレンジが何よりもユニークなのは、ポットスチル(蒸留釜)の首が異様に長く、煙突のようになっていることです。

その高さは、驚くなかれなんと5.13メートル。
もちろん、スコットランドでは“最高”記録です。
ウィスキーの味わいは、ポットスチルの形状に大きく左右されるので、この決断にはずいぶん勇気が必要だったと思います。

実は、創業者のウィリアム・マセソンがビール工場を改造したとき、
十分な資金がなかったため、ジンの蒸留に使っていた中古のポットスチルを転用せざるを得なかった、
というのが真相のようです。

偶然の産物とは言え、それが実に豊かな風味を醸し出してくれました。

いつの時代も、神様は熱意ある者の味方なのですね。

「人と同じことをやっていてはダメだ」という説教は私もよく聞かされましたが、
人と違うことをやるのはとても勇気のいることです。

と言うより、人と違うことをせざるを得ないような、
切羽詰まった事情がある時にこそ道が開けるのかもしれません。
要するに、どんなことをしてでも成し遂げたいという強い意志があるかどうかです。

ウィスキー樽だって同じです。
スコットランドでは、新樽を沢山作れるほど木材が採れません。
しかも、当時主流だったシェリー樽は品不足になり値段が高騰していました。

一方、バーボンは法律で新樽しか使ってはいけないことになっているため、一度使用した樽は安く手に入れることができます。
要するに、背に腹は代えられないという状況で再利用したのがきっかけだったというわけです。

あらゆるチャレンジ精神をかき集めて束にしたかのようなこのウィスキーが、
広く世界中で飲まれるようになったのには理由があります。

ロス州は移民の盛んなところだったようで、ヨーロッパ中は言うに及ばず、遠くアメリカ大陸にまで進出していました。

チャレンジ精神溢れる移民の郷土愛が、チャレンジ精神の塊のようなグレンモーレンジを世に広めたというわけです。
うーん、私もふるさと納税でもやってみようかな。

ところで冷静に考えたら、グレンモーレンジを飲むためだけにわざわざ“豪華夜行列車”に乗るよりも、
単品で買い求めた方がはるかに割安。
しかも、最近『ななつ星』体験者がブログに書き込んだウィスキーリストには、その名前が載っていませんでした。
もしかしたら私の見間違いだったのかも。
いずれにせよ、もう『ななつ星』に用はありません。

ネットで探していたら、15年ものが終売につき残り僅少とのこと。
こちらの方が気になりました。

キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』をBGMに、コルクを抜きます。
若い頃は死ぬほど退屈に聞こえたピアノソロも、この歳になると味わい深く聞こえるから不思議です。
人もウィスキーのように、年齢を重ねるほど熟成していくのでしょうか。

もちろん水割りの比率は、『ウィスキーの正しい飲み方』(2014年7月)で紹介した通り1:1。
今回の割り水は、エヴィアンと普通のミネラルウォーターを0.5ずつにして、
仕込み水とほぼ同じ硬度にします。
香りが飛んでしまうので氷は入れてはいけません。

まさに極上のひと時。
夜行列車の騒音の中で飲まなくてよかった。

やっぱりこれは、部屋でひとり静かに飲むお酒です。

なにせ『グレンモーレンジ』とは、ゲール語で「大いなる静寂の谷間」という意味ですから。

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