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5☆s 講師ブログ

人事と真田丸

社会の様々な不正や不合理に鋭く切り込む気鋭のジャーナリスト岩瀬達哉が、
どういう風の吹き回しか最近企業人事に関する著書を出版するようになりました。

従来のビジネス書とは異なり、本音の話がてんこ盛りなので実に面白い読み物となっています。
ある大手銀行の人事担当役員は、頭の中に自分なりの5つの人事評価ポイントがあると語ります。

5つの中には「問題解決力」や「統率力」などは入っていませんので、

恐らくそれらの能力はすでに一定レベルに達しているという前提なのでしょう。
つまり、部長クラスといった上級管理職への登用の際に、
チェックすべき評価ポイントという位置付けだと思われます。

そのひとつが「泥被り度」です。

出世レースにおいて自分の経歴に汚点を残すことは本来避けるべきことなのに、
組織全体をよりよい方向に導くために、敢えて損な役回りを買って出る。

どうです、あなたの会社にそんな奇特な人はいますか?

と同時に、それをキチンと見抜くだけの眼力を持った人事の責任者はいますか?
この辺りが、そこらに掃いて捨てるほどある優等生然としたビジネス書と一線を画すところです。

またその5つの中には、「異論上申度」というのもありました。

これはただ単に、上司の指示に意義を唱えるということではありません。

指示の中で抜けている視点や、見過ごしている問題を的確に指摘して、
どのような手を打つべきか意見を述べることです。

これは、言うほど簡単な話ではありません。

なぜなら、見方によっては上司の考えの浅はかさを指摘しているととられかねないからです。

了見の狭い上司なら、「恥をかかされた」と思う人もいるでしょう。

そう考えると、どんなに有能な部下でも、その能力を最大限発揮できるかどうかは、
やはり上司次第という結論になります。

その岩瀬が近刊で『人事抗争史』と銘打ち、ある超有名企業の代々の社長交代の舞台裏をレポートしています。

この手の話のネタ元は社長になれなかった人、つまり人事抗争に敗れた人たちからもたらされるものですので、
どうしても歴代社長に対する評価には偏見が混じってしまいがちです。

しかしその分を割り引いても、大変興味深いものでした。

というのは、どこの会社も「次期社長選び」の難しさは同じだとわかったからです。
日本を代表するような大企業でも、そこには他の多くの企業と全く同じ法則が働いていました。

一般に、次期社長がどのように決定されるかというと、現社長の指名によるケースがほとんどです。

重要なのは、その時の現社長の考え方です。

今後は一切経営から身を引き、新社長のやることには絶対に口出ししない、などという人はまずいません。

表面上は代表権のない会長や相談役に退いたとしても、
“お目付役”として何らかの影響力は残しておきたいと考えるのは人情というものです。

中には、露骨に“院政”を敷こうとする人もいます。

もし、うまく院政を敷くことに成功したとしても、
今度は前政権からの膿がますます拡大して、会社が追い詰められてしまうこともあります。

逆に、新社長が前任とは全く別の経営方針を打ち出した場合はどうでしょう。

このときは前社長の不満が爆発し、以降「恩知らず」という誹謗中傷を浴び続けることになります。

新社長としては、自分が打ち出した新機軸の正当性を証明してくれるのは業績数字しかありません。

そこで「絶対目標達成!」の厳しい指示が飛び、勢い現場にしわ寄せがいくこともあるでしょう。
同族会社でも、サラリーマン社長の会社でも、多かれ少なかれこのような問題を抱えています。

今度は視点を変えて、新社長の側から見てみましょう。

新社長は、就任したとたんにすべての権限を手に入れます。

しかし、社長に登り詰めるまで、自らの責任において意思決定したことなど一度もないという人はたくさんいます。

なぜなら、“合議制”という名の隠れ蓑の元、旗色を鮮明にせず「調整型」に徹することが、
出世の条件になっているという会社も多いからです。

しかも、そうやって生き延びてきた人材は、上役からは「御しやすい」と思われるため、
院政を敷きたい人の目には恰好の候補者に映ります。
“バランス感覚”と称して、人と対立しないことだけを得意技に上手に波乗りしてきた人にとっては、
ある意味“院政”の方が楽かもしれません。

でもそんな人でも、社長と持ち上げられて周りからリーダーシップを期待されたりすると、
急に権力を振り回したくなるようです。

そもそも、「調整型」が身についてしまっている人に、
強力なリーダーシップの発揮を求めること自体がおかしいと思いませんか?

本来は、若いときから果敢にリスクをとって、自らの責任において意思決定を行ってきた人の方が
リーダーには適任のはずです。

ところがこのような人は、「協調性に欠ける」という理由で、途中でレースから排除される仕組みになっています。

日本では昔から、たとえどんなに有能であっても、協調性のない人間は疎まれる傾向にあるのです。

今年のNHKの大河ドラマ、『真田丸』もそうです。

真田幸村は、大坂冬の陣では城に立て籠もるのではなく、積極的に城外に出撃する策を主張しました。

しかし、軍議という“合議制”のもとでは、実権を握る家老たちに握り潰されてしまいます。

そこでやむを得ず、少しでもその策を実行しようとして築いた砦が真田丸でした。

この時、幸村の提案に猛反対した豊臣方の重鎮たちは、合戦の経験がほとんどない者ばかり。
しかも、リーダーである豊臣秀頼は母親の淀君の言いなりで、自分では何一つ決定できない状況にありました。

戦いとしては豊臣方が優位にあったにも関わらず、城に何発か大砲を撃ち込まれ、
側近の女中たちを失ったことでパニックに陥った淀君の鶴の一声で、極めて屈辱的な講和を結んでしまいます。

この時も、徹底抗戦という幸村の主張はあえなく却下されました。

城の生命線である掘をすべて埋めるという、絶対的に不利な条件をあっさり飲んだ時、
豊臣家の滅亡が事実上決定したと言っても過言ではありません。

実際、その半年後の夏の陣では、戦う前から勝敗は決していました。

ただ、わずかしかないはずの豊臣方の勝機が、幸村の捨て身の大活躍でついに訪れます。
記録によれば、幸村の急襲を受けた家康は、二度までも自害を覚悟したとあります。

あとは幸村の進言どおり、総大将の秀頼が戦いの最前線に姿を見せさえすれば、
一気に兵士たちの士気が上がり、豊臣方の見事な大逆転勝利という段階になっても、
側近たちは危険だという理由で秀頼を城内に留めます。

敵は徳川方ではありませんでした。

自分たちの側のトップ層でした。
もしあの時、彼らがマトモな判断を下していたなら、
現在の日本の首都は東京にはなっていないかもしれません。

これを現代の会社組織に置き換えてみましょう。

淀君は、院政を敷いた会長に見立てることができます。
さしずめ秀頼は会長の“引き”で抜擢された名ばかりの社長、
そして重鎮たちは会長派の取り巻き連中というところでしょうか。

いかがですか?

今の日本企業が抱える問題と、驚くほど酷似していると思いませんか?

大坂の陣からすでに400年。

この間私たちは、歴史から一体何を学んできたのでしょうか。

幸村のように有能な人材が社内にいるのに、経営陣の問題で豊臣家と同じ運命を辿りそうな会社が
結構多いような気がしてなりません。

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