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5☆s 講師ブログ

ゲスな分類

キャリア研修でよく目にするのが『キャリア・アンカー』という言葉。

その意味は、キャリアを選択するときに最も大切にしたい価値観や欲求のことです。

別の言い方をすると、最も犠牲にしたくない価値観や欲求のことでもあります。

もう少しアカデミックな表現だと、周囲が変化しても自己の内面で不動なものという説明もあります。
でも、どれもよくわかりませんよね。

これを提唱したエドガー・シャインは、『キャリア・アンカー』を以下の8つに分類しました。

①管理能力(要は、管理職をやりたいという欲求)
②技術的・機能的能力(専門職を貫きたい)
③安全性(会社にしがみついていたい)
④創造性(企画や開発は大好き)
⑤自律と独立(命令されるのは嫌)
⑥奉仕・社会献身(誰かのために犠牲になってもいい)
⑦純粋な挑戦(常に何かに燃えていたい)
⑧ワークライフバランス(仕事もプライベートも)

かつて私がキャリア研修を受講する側だったとき、

「あなたのキャリア・アンカーはどれですか?」と講師から質問されましたが、答えようがありませんでした。
そんなこと、考えたこともなかったからです。

それよりも、強い違和感を覚えたのは、所詮どれを選んだところで、

会社に勤めている限りは制約が多すぎて簡単には実現できないじゃないかということです。
もちろん、「私のキャリア・アンカーは○○ですので、今日限り会社を辞めます」
などという勇気などあろうはずがありません。

③の『安定性』というのは、社員にとってはわざわざ選択するものではなく、
そもそもの大前提と考えていることです。

そうなると、「このキャリア研修の目的は一体何なの?」という疑問が沸き起こります。

学者が作った机上の理論を雁首揃えてお勉強したところで、
私の人生にとって何か意味があるとは思えませんでした。

当時は、こんなモヤモヤした研修が日本中で行われていたわけです。

落としどころのはっきりしない研修が、「リストラに向けてのジャブじゃないの?」
という疑心暗鬼を呼び起こすのに、さほど多くの時間は要しませんでした。

かくして『キャリア研修』は“取り扱い注意”の不名誉な烙印を押され、
翌年の研修計画ではいったん棚上げにされてしまった企業もありました。

確かに『キャリア』というカタカナが登場したのは、リストラと同じ時期。
社員の間で、いわれなき警戒の対象となったのも無理からぬことでした。

それでも最初のうちは、流行語大賞的な勢いがありました。
まず人事部が、その意味もよく咀嚼できないうちに、まるで“はやり病”のように飛びつきます。

大学では、『キャリアデザイン学』なる正体不明の学問が脚光を浴びました。

しかし、皮肉なことにバブル崩壊後とあっては、
その学問を学んだ大学生にとって、キャリアを選り好みできるほど就職先の選択肢は残されていませんでした。

かくして一大ブームを巻き起こした『キャリア』なるカタカナ語は、

確たる定義づけもされないまま宙ぶらりんな形で放置されることとなります。

ウソだと思うなら、周りの人に『キャリア』の定義を質問してみてください。

経歴、職歴、履歴、専門領域、得意技・・・

どうです?

やっぱり正体不明でしょ。

仮に『職歴』と定義すると、『キャリア研修』は『職歴研修』と読み替えられますが、
これってどんな内容?と思いますよね。

今回は、この数奇な運命を辿った『キャリア』という言葉について考察してみます。

私は、手がかりは『キャリア・アンカー』にあると睨んでいます。

そもそもシャインが、『キャリア・アンカー』について8つの“ゲス”な分類をしてしまったことが、

全ての間違いの始まりではないかと思っているのです。

シャインがこの研究を始めたきっかけは、朝鮮戦争の頃にまで遡ります。

中国側の捕虜となったアメリカ兵たちは「強制的説得」という、要するに共産主義の洗脳を受けるのですが、
簡単に転向する者もいれば、最後まで抵抗する者もいます。

この違いは何なのでしょうか。

戦後、シャインは巨大企業のGEを対象に研究を行うのですが、ここでも奇妙なことに気づきます。

一般に企業というものは、従業員に経営理念を徹底しようとします。

日本では朝礼のとき全員で唱和したりしますが、そのような習慣のない外国企業では、
経営理念の徹底のために研修が利用されることになります。

なんと研修所の通称は「GEインドクトリネーション・センター」。

インドクトリネーションというのは、「イデオロギーの注入」という意味だそうです。

凄まじいですよね。
「研修は洗脳のためにある」と宣言しているようなものです。

ところが研究を進めるうち、組織のイデオロギーに簡単に染まる人と、染まらない人がいることがわかりました。

朝鮮戦争の捕虜の時と同じではありませんか。

そこで一人ひとりをよく観察してみると、それぞれ個人として貫いている何かを持っていることが浮き彫りになってきました。

シャインはそれを、『キャリア・アンカー』と命名したのです。
すなわち『キャリア・アンカー』とは、洗脳されそうな極限状況に置かれた時に、
最も重視するものは一体何かということなのです。

大変な思い違いをしていました。

そもそも『キャリア・アンカー』とは、経営学や心理学で扱うようなお手軽な代物ではなく、
本来は哲学の範疇で議論されるべきものだったのです。

シャインの間違いはここにあります。

本来掘り下げるべきだったのは、洗脳されなかった人の方の信念です。

簡単に洗脳されるような人の方まで親切に分析して、ご丁寧に8つに分類してあげる必要などなかったのです。

なぜなら、彼らの信念とは「信念を持たないこと」に他ならないからです。

ようやく、『キャリア研修』を受講した時の違和感の原因がわかりました。

見るからに、いざとなったら真っ先に敵に尻尾を振って転向しそうな研修講師に、
「『キャリア・アンカー』を見つけなさい」などと偉そうに説教される筋合いはなかったのです。

まずは、洗脳されそうなギリギリの場面でも決して揺るがない、働く上での信念のようなものは何か?

それを一人ひとりが真剣に考えるべきなのです。
そして、それを土台にして、その上に築いていくものこそが『キャリア』なのです。

しかし、このことはかなり難しい問題を伴います。
働くことの信念と、実際に収入を得るために就いた職業の理念とが、
うまくマッチングしていなければならないからです。

また、別の問題も存在します。

私たちには働くことの信念が問われていますが、会社にも信念が問われているということです。
会社の信念は、一般的には「経営理念」として明示されています。

もっともらしい、キレイゴトの経営理念を掲げてみたところで、所詮営利企業は利益を出せるかどうかが勝負です。

例えば決算の土壇場にあっても、キレイゴトの経営理念を貫けるかどうかです。

そもそも、本当に崇高な経営理念であるならば、
わざわざ全員で唱和したりして洗脳しなくてもみんな従うはずではありませんか。

問われているのは私たちの信念と、会社の経営理念の“アンカー性”の両方なのです。

キャリア研修が不幸な運命を辿った原因は、その問いかけが一方にしかなされなかったことです。

キレイゴトを並べたところで、とどのつまりは利益至上主義が企業の本音だというならば、

最初からそれ用のテクニック研修に徹底してくれた方が、受講する側にとっても理解は早いというものです。

しかし、信念なき利益追求型経営の先に待ち受けているのが何なのかは、
毎日のように新聞紙上を賑わせている企業不祥事が教えてくれています。

働く側も経営側も、共に信念の“アンカー性”を考えるような内容でなければ、

真の『キャリア研修』の出番はなかなか来ないような気がします。

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