株式会社ファイブスターズ アカデミー

まずはお気軽に
お問い合わせください。

03-6812-9618

5☆s 講師ブログ

カティー・サーク

「老兵は死なず、ただ消え行くのみ」
新入社員の時、定年退職する人が挨拶でつぶやいた言葉が耳に残っています。

あのダグラス・マッカーサーが、朝鮮動乱の最中に占領軍最高司令官の職を解かれた際、
アメリカの議会で演説した時の名文句です。
短い言葉の中に、軍人の意地と誇りがぎっしり詰まっているではありませんか。

そういえば、カラオケが流行り出したのも新入社員の頃。
まだカラオケ店などなく、なじみのスナックでウィスキーの水割りを飲みながらの熱唱でした。

たまに上司に連れて行ってもらう、ちょっと高級な店の棚に並んでいたのがこのカティーサーク。
鮮やかな山吹色のラベルに帆船が描かれたボトルは、初任給の身にとってはあこがれの存在でした。
後で知ったのですが、この山吹色は印刷屋さんのミスだったそうで、本来はもっと淡い色にしたかったそうです。

このイラストのモデルとなったカティー・サーク号が、進水したのは1869年。
当時は中国からイギリスに紅茶を運ぶ快速帆船、いわゆるティー・クリッパーの全盛期でした。
新茶をもっとも早く運んだ船には懸賞金が支払われるとあって、
カティー・サーク号とライバルのサーモビレ号とのデッドヒートは歴史に残るものだったそうです。

しかし、スエズ運河の開通とともにティー・クリッパーの時代は幕を下ろします。
カティー・サーク号の次なる働き場所は、オーストラリアから羊毛を運ぶウール・クリッパーでした。
ここでも素晴らしいスピード記録を打ち立てて時代の寵児として再び脚光を浴びますが、
やがてテクノロジーの進化とともに快速帆船は時代そのものに追い抜かれていったのです。

その後は、油や石炭を運ぶ仕事を見出しますが、
数々の輝かしい栄光に包まれた船にしてはあまりにさびしい晩年でした。
それを惜しんだある外国航路の船長がカティー・サーク号をポルトガルから買い戻し、
1922年にテムズ河にその勇姿を現した時には人々は温かい拍手で迎えたそうです。

時の経つのは早いもので、初々しい新入社員だった私も
そろそろこの挨拶をするべき時が近づいてきました。
カティー・サーク号のような輝かしい実績は何ひとつ残せなかったけれど、
自分なりに精一杯走り続けた30数年でした。

1923年に発売されたこのウィスキーに、カティー・サークという名前を付けたのは
ジェームズ・マクベイという有名な画家です。

この時、彼が描いた手書きの帆船のイラストとロゴが、90年近くラベルに使われてきましたが、
そのロゴは「SCOTS」となっていました。

間違いではありません。
この表記こそ、「ゲール語ではこちらの方が正当」というマクベイの信念に基づくものだったのです。

しかし、そのロゴも最近「SCOTCH」に変わってしまいました。
同時に、ラベルの色合いも淡いものに変わりました。

かつては、そのラベルを見る度に、老兵の気骨のようなものを感じたのですが、
その老兵もいよいよ「その時」を迎えたような気がして一抹の寂しさを覚えるのは私だけでしょうか。

初めての方へ研修を探す講師紹介よくある質問会社案内お知らせお問い合わせサイトのご利用について個人情報保護方針

© FiveStars Academy Co., Ltd. All right reserved.