理研がSTAP細胞の発表をした時、世界中が驚きと賞賛を持って歓迎しましたが、
わずか1カ月後には、事態は一気に暗転してしまいました。
本当にSTAP細胞が存在するのかどうかは、今後の厳密な科学的検証により明らかにされることと思います。
このとき私が思ったのは、野口英世のことでした。
野口英世と言えば、世間では、千円札にも載っている言わずと知れた大科学者と思われていますが、
実はまったく違います。
野口が活躍したロックフェラー大学に留学した、福岡伸一の本で私は真実を知りました。
この大学には、なぜか野口に関する記録はほとんど残されていません。
まるで、野口が在籍していたこと自体を、必死に隠しているかのように・・・
その謎は、2004年の大学定期刊行広報誌で解き明かされます。
そこには、このような記事が掲載されていました。
「梅毒、ポリオ、狂犬病、黄熱病と言った野口英世の研究のほとんどは間違いであった。
一方、彼はヘビー・ドリンカーとして、またプレイボーイとして名を残した」
残念ながら、この記事は事実です。
アメリカで、野口のことを科学者だと思っている人は、ひとりもいないと言っても過言ではありません。
彼が、これらの病原菌として大々的に発表したもののほとんどは、確かに完全に間違いでした。
もっとも、細菌よりもっともっと小さな、「ウィルス」という物質が存在するなどとは
誰ひとり考えてもみなかった時代のことですから、無理もないと言えばたしかにそうかもしれません。
しかし、アメリカの近代基礎医学の父と言われた、サイモン・フレクスナーが彼のバトロンだっために、
野口の研究に対する追試や反論を封じてしまったことも事実です。
そして、結婚詐欺まがいの行為を繰り返し、支援者を裏切り続けたこともまた事実でした。
野口の誤った発表が、故意によるデータのねつ造だったのか、あるいは単なる錯誤だったのかは
今となっては知るすべもありません。
科学の世界というのは、真実が後から解き明かされることが多いものです。
ですので、今回のSTAP細胞についても、軽々に研究者の評価を決めるようなことはあってはならないのです。
さて、世間的には「偉人」と評価されていても、専門分野においては決してそうではないというケースは意外に多いもの。
「舞姫」や「高瀬舟」などの小説を遺した明治・大正の文豪、森鴎外という人もそうです。
彼は、医者でもあり、陸軍の軍医総監という大変偉い地位にありました。
その頃、日本軍は、謎の難病「脚気」に悩まされていました。
脚気は、今でこそビタミンB1の欠乏により起こることは誰でも知っていますが、
当時は原因が全く分かりませんでした。
海軍の軍医総監は、イギリス海軍では脚気という病気がないことから、
食べ物が原因であると考え、西洋食を取り入れようと進言します。
実際に、遠洋航海に出た2隻の軍艦で、それぞれ日本食と西洋食を食べさせてみたところ、
日本食を食べた方は、376人中169人が脚気を発症し、うち25人が亡くなりました。
一方、西洋食では330人中発症者はゼロ。
この結果に基づき、海軍は1885年から麦飯やパンを採用します。
ところが、陸軍軍医総監・森鴎外こと森林太郎は、
日本食が西洋食に劣っているわけがないとの理由でこれを拒みます。
記録によると日清戦争では、陸軍で34,783人が脚気を発症し、3,944人が死亡しています。
一方、海軍での発症者は34人で、亡くなったのはわずか1名でした。
その後の日露戦争では、さらに被害は拡大し、
21万人以上が発症して、27,800人が死亡したといわれています。
日露戦争での戦死者が約5万5千人ですから、およそ半数に達する計算になります。
まさに陸軍にとって最大の敵は、ロシアではなく森鴎外だったのです。
しかも、1910年に鈴木梅太郎がビタミンB1を発見した後でも、森は頑として受け入れようとしません。
結局、陸軍がようやく麦飯を採用したのは、1922年に森が亡くなってから後のことです。
森鴎外の小説を読んで救われたという人が、いったい何人いるのかよく分かりませんが、
森によって命を落とした人の数が、3年前の大地震より多いことだけは確かです。