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5☆s 講師ブログ

石原吉郎

私の不幸は、ヴィクトール・フランクルより先に、石原吉郎に出会ったことです。
名著『夜と霧』を読んでも、『望郷と海』ほどの感銘は受けませんでした。

「荒地」派の、スゥイートでセンチメンタルな現代詩を読み漁っていた高校時代、
生ぬるい百年の眠りから目覚めるに十分な衝撃を受けたのが石原吉郎でした。
その“孤高”としか言いようのない精神の高みは、想像を絶するシベリア抑留体験によってもたらされたものです。

隣で寝ていた男が、目が覚めた時にはすでに冷たくなっている。

そんな極限状態の毎日で、抑留者たちは、次第に人間としての尊厳を喪失していきます。
そして、やがて動物の本能である生への執着のみに傾倒していくのです。

抑留者は、毎日極寒の中での肉体労働に駆り出されます。
その作業場所への往復の際、横に5列の長い隊列を組んで移動するのですが、
皆、我先にと内側の列に入ろうとします。

なぜなら、もし外側の列にいて、長く続く凍てついた道のりの途中で、
うっかり足を滑らして隊列を少しでも外れようものなら、
即座に脱走と見做され、ロシア兵の自動小銃の連射に晒されるからです。
だから、犠牲者が出るのは、いつも決まって右と左の端の列からでした。

そのため、整列の号令がかかると、身近にいる弱い者を外へ押し出してでも、内側の3列に割り込もうとします。
それを石原は「短い時間に、加害者と被害者の位置がすさまじく入れ替わる」と表現しています。

死にもっとも近い場所にいながらも、できるだけ死から逃れようとして内側の列に入る。
このわずか数十センチこそが、死との距離を正確に表していると言えます。

長時間、自らの死と膝詰めの状態で向き合っていると、その苦痛から逃れるために、
多くの人間は思考と感情を停止します。
もし、それらを維持しようとすると、精神に異常を来すことさえあるのです。

しかし、ごく稀にではありますが、信念の化身になる者も現れます。
石原の友人Kは、なぜか毎回、自ら進んで外側の列に並ぶのです。
そして、移動の後たどり着いた作業場では、自ら志願して最も過酷な労働を担当します。
しかも、ある時は絶食まで試みました。

彼はなぜ、あえてより死に近い場所に身を置こうとするのでしょうか。
石原の考察は、やがて生と死の分岐点に存在する”何か”にフォーカスしていきます。
その哲学的な領域に足を踏み入れたように見えながらも、石原はいみじくもこう記しています。

「生きのこった!
というやくざなよろこびを」
(『デメトリアーデは死んだが』より)

半ば強制的に生を放棄せざるを得ない境遇にあっても、生きていることはそれだけで喜びだったという事実は、
その頃の私にとってはある種の救いでした。
そして、その日から石原は、私の人生の師匠のような存在となったのです。

ものぐさな私が、かつて数枚だけ出していた年賀状に、よく『水準原点』という詩の一節を載せては、
分かりにくいと友人達の不評を買っていました。
しかし、このような背景を知ってから読むと、彼の原点を形づくった北の白い大地が、
ぼんやりと目に浮んでくるような気がします。

みなもとにあって 水は
まさにそのかたちに集約する
そのかたちにあって
まさに物質をただすために
水であるすべてを
その位置へ集約するまぎれもない
高さで そこが
あるならば
みなもとはふたたび
北へ求めねばならぬ

北方水準原点

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