株式会社ファイブスターズ アカデミー
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経営学の教科書や巷に溢れるビジネス書には、マネジメントの理論やスキルが
これでもかというほど記載されています。
間違ったことは何ひとつないはずなのに、日本の職場は相変わらずどこもギスギスしていて、
みんな不機嫌に仕事をしているのはなぜでしょう。
そんなことを考えながら、土曜日の朝、ぼんやりNHKの『マッサン』を見ていました。
ニッカウィスキーの創始者であり、正に“信念の人”竹鶴政孝がモデルというのは知っていましたが、
それにしても寿屋(現在のサントリー)の人達も含めて、なぜあんなにも、みんな元気いっぱいなのでしょうか。
ドラマだからとは言え、職場はいつも活気に満ち溢れ、まるで毎日がお祭りのような高揚感が伝わってきます。
少なくとも、メンタルに問題を抱えている人など一人も見当たりません。
作田耕三は、寿屋の東京工場長で常務まで勤めた男です。
社長の鳥居信治郎の片腕として、この人なくして現在のサントリーはなかったとも評される人物です。
ある日、新聞記者が彼の社宅を訪ねました。
重役だから、さぞや大邸宅に住んでいるのだろうと探しましたが、どうしても見つかりません。
ふと、一軒の粗末な造りの家の表札を見上げると、「作田」と書いてあるではありませんか。
記者は家の小ささに驚きますが、やがて玄関の外に、
なぜか放り出されたような形で一足の靴が転がっているのに気づきます。
この靴の持ち主こそ、驚くなかれあの徳田球一でした。
徳田は、戦後の共産党の初代書記長を勤めた、筋金入りの活動家です。
治安維持法違反で逮捕された時は、18年間も獄中で過ごしました。
実は、作田はマルキストでした。
信じられないことですが、日頃から工員達に『資本論』を読めとか、弁証法を勉強しろと訓示を垂れていたそうです。
ですので、共産党がまだ非合法だった頃から、彼らが家に出入りすることを許していたのです。
しかし、作田の妻はなぜか徳田をひどく嫌っていて、その日も靴に八つ当たりしていたのでした。
それにしても、社長の鳥居は、なぜそんな作田を重用したのでしょうか。
現在のリスク・マネジメントや、コンプライアンスの原則から言えば考えられないことです。
サントリーの宣伝部員だった芥川賞作家の開高健によれば、
うまいウィスキーさえ作れれば、イデオロギーはどうでもよかったということらしいのですが、本当でしょうか。
にわかには信じられません。
そもそも、マルキストの作田が、なぜ営利企業に身を置いて、会社のために粉骨砕身働いたのでしょうか。
私には、そちらの方が大きな謎です。
その答えは、意外なものでした。
同じくサントリーの宣伝部で、開高と机を並べて仕事をしていた直木賞作家の山口瞳に対して、
作田はこんな逸話を披露しています。
作田が会社に入って間もない頃、父親が亡くなりました。
しかし、入社して日が浅いこともあり、会社には知らせずに、身内だけでひっそりと葬儀を済ませようと考えます。
ところが、葬儀場に着くと、予想だにしない光景が展開されていました。
どこで聞きつけたのか、鳥居社長を筆頭に寿屋の全社員が集合し、大慌てで葬儀の準備をしているではありませんか。
鳥居自ら荷物を運んだりと、先頭に立って力仕事に汗を流したかと思うと、
葬儀の時間が近づく頃には受付に立っています。
そして、決定的なアクシデントは、葬儀の終わり間際に起こりました。
ちょっとした手違いから、作田の母親が乗る車が手配されていなかったのです。
すると突然、鳥居が「お母はんをどうするんや!、お母はんをどうするんや!」と
大声で喚きながら、どこかに走り去ってしまいます。
数分後、一台のタクシーが現れます。
助手席には鳥居が乗っています。
しかも、お母さんを自宅に送り届けるまではと、頑として車から降りようとしませんでした。
この時、作田は、この人のために命を懸けることを決心したと、涙を流しながら回想したのでした。
なんとなく、あの異様な熱気の背景や、開高と山口という二人の大作家が、
多忙を極める超売れっ子になってもなお、なぜか会社に留まり続けた理由が分かるような気がします。
経営学のテキストや、スマートなビジネス書には決して書かれていませんが、
人が最も心を動かされるのは、案外“浪花節”なのかもしれませんね。
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